|
|
|
|
|
|
 |
 |
 |
 |
 |
 |
 |
 |
 |
 |
 |
 |
 |
 |
イタリアの食事について |
 |
 |
 |
イタリア料理を一言でといわれてもひとことで答えるのは難しい。それぞれの地方によって内容がおおきく違うからだ。そしてフランス料理や北京料理の饗宴のために美食のみを追求する成り立ちと違うものだ。それは家庭料理をベースにしたいわゆるマンマ(おかあさん)の料理だということである。そして今ひとつは、イタリアはご存じのように南北に分かれていて北と南の気候風土にも大いなる隔たりがある、付け加えるならばそのような国土の成り立ちが生んだカンパリニズモ(愛郷主義ともいうべきか)といわれるものによって都市国家に分断されていた当時からの史実によって各地の習慣が非常に違っているからである。
イタリアには無数に方言がある、例えばイタリアでは州と州、県と県という以上に町や村の単位で方言が顕著に違っている。それと同じようにそれぞれの地方にそれぞれ異なった料理があると言われている。しかしそのことは風土の大きな違いをもつ国においては当然のことだ。どこの国に於いても、山岳地帯なのか海に面しているのかなどの風土による違いは、それぞれのいわゆる郷土料理としての成り立ちに変化をもたらすことになる。また、それ故に、その国の料理を食べ歩くことの楽しさや喜びにつながるものと断定して良い。フランスにしてもスペインにしてもそれぞれの地方における料理の違いは際立っている。イタリア料理のみが無数の料理法があるとするのは、イタリアばかり観ているのであってそれは少し強調し過ぎだ。
さて、イタリア料理については、最近では有名シェフたちによるとても良いイタリア料理に関する出版物が出回っているし、週刊誌、月刊誌でも頻繁に取り上げられているので、それらの本を読めば十分な知識が得られるため、料理についての詳しい説明はここでは省略することにしよう。
専門料理、料理王国、四季の味を初めクロワッサンでも家庭画報などでもありとあらゆる月刊誌
は料理記事で埋められている。
私はイタリア料理が好きである。日本の料理と比べてもイタリア料理がおいしいとさえ思うことがある。この料理の特質は、フランス料理と対比させることによって、より一層、違いが現れてくる。元来、イタリア料理が長男だとすれば、フランス料理は次男、いや妹とした方が良いか。その起源をたどればこの二つの国の料理に関する関係は兄妹のようなものに思える。当然妹の方がおしゃれであり、華やかに装ってという風に考えればよいのである。
王族たちが美食を楽しむことによって発展したフランス料理は華やかで見るからにおいしくその場の雰囲気もまた素晴らしいものである。フランスの項で述べたように、世界で一番手の込んだ、世界一おいしい料理であると認めることには異論がない。しかし、宴席料理というか接待料理というものは、少しく凝りすぎていて、毎日の食事として考えたときにはかなり問題を抱えていることは間違いない。人間の身体というものは、自然に美食を求めるものではあるが、それは舌などによる味覚のことであって、胃袋の方は、時には休養を欲している。また、血液は天然の食材から得られる素朴さを欲していることもあろう。そういうことを無意識下に判断して、今日は何を食べたい、食べるということになってくる。
私はフランス料理が一番好きだと書いた。そして同時に、毎日は食べられない。精々一週間に一回ならばよいだろうと述べたそのことである。イタリア料理が西洋料理としては、最終的にフランス料理を超えて世界の料理の主流になるだろうと確信する理由がそこにある。
人間は毎日二度三度、生き続ける限り、食事をとり続ける。そのうちで、それぞれの国民としての国の料理が先ず食されることは当然だが、中華はこの際省略するとして、それ以外に食したい西洋料理というものがどの様になっているだろうか。仮に月に1回しか外食しないと考えれば、フランス料理かも知れない(西洋料理のみに限定)。週に1回としても考えられる。しかしながら、週に2回以上、あるいは毎日ということになれば、必ずやイタリア料理ということになろう。
天然の素材の持ち味をできるだけ残すオリーブオイルの軽さ、オレイン酸などといった健康上の問題、バラエティに富んだ食材、そして気さくな雰囲気と値段の手頃さなど、まだ他にも理由は有ろうが、このようなことによって、イタリア料理はフランス料理に勝っている。食事が、自分自身にとり永遠に摂取しなければならない長期間にわたる営為であることを考えれば、イタリア料理は断然フランス料理以上に支持されるであろう。私の経営する会社がイタリア料理をメインにした地中海の食材にこだわる理由がそこにある。
もちろん、フランス料理のような美食の極致を演出してくれる料理形式は絶対になくてはならないし、無くなるものではない。楽しみには衣装、宝石、庭作り、家作の楽しみなど色々あるが、究極の楽しみとしては美食の楽しみに優るものはないだろう。誰でも、晴れがましい服装をしたりして、気分転換をしたいときがあるに違いない。もちろん、お洒落に無頓着な人は別の形で気分転換するに違いない。しかし、接待やデートなどで、うんと奮発して贅沢を演出しなければならないときもあるだろう。こんな時にはフランス料理が向いている。
最近ではビストロやブラッスリーなど、手軽に満足させられる場所も増えており、食べ歩きの楽しみには事欠かない。しかし美食を連日追求するということは、健康の問題に大きく関わってくる。毎日そのような豪華な食事ばかりしていては肥満などの問題などがあって、考えるべき事もある。毎日の馳走攻めは(竜宮攻めともいうらしい)、何の感激ももたらさないだろう。楽しみは時折あってこそ良いのである。
牛肉を食する場合、欧米や豪州などの肉を買えば、脂肪分が少なく美味しく無いといわれる。一方、日本の但馬牛や神戸牛、そして松阪牛などの美味しいといわれる牛肉は脂肪を大量に含んでいて、誰が食べても美味しいことは変わりなく、芸術的とも言えるほどである。しかし、毎日食べたらどうなるであろうか。間違いなく糖尿病や通風を誘発するに違いない。連日続いたら胃もたれがして、うんざりしてくるに違いない。美食には一定の期間をおいて、一定の量を深く味わうことによって、尚一層、その良さが伝わってくるように思われる。
私は30歳くらいの時から今日の57歳まで、最上の牛肉を食べさせてくれる松阪市の「和田金」に、およそ10年に1回のペースで行っている。都合3回出かけたわけだが、ここでは、すき焼きやステーキ、しゃぶしゃぶなど、何を食べても美味しい。食べた後の肉の美味の余韻が3年でも4年でも舌先に残っている感じで、5年経ったとしても、その食事の始まりから最後までの光景が克明に意識下に残っている。そのくらい美味しい。こういうのを絶品というのだろう。10年ほど前に、伊勢参りの帰路に立ち寄った際には、店の建物が、ものすごく立派な鉄筋コンクリート5〜6階建てになっていて驚いた。相変わらず、年季の入った仲居さんが七輪を持ってきてくれてつきっきりですき焼きを作ってくれたが、あれだけ美味しいものを食べさせてくれるのだから、儲かるのは当然だろう。名古屋の松坂屋本店の新館のみに限って支店を出していたようである。家内の誕生日にちょうど名古屋に滞在していたので、夜は高くつくので安くすませようと昼にでかけたが、良い肉が入手できないので、無期限で休業とのことでがっかりしたことがある。いや内心では出費が抑えられたのでほっとしたのかも知れない。2001年に名古屋に出かけた際に聞いた話によると、不定期の休業が頻繁に続いたので(良い肉が提供できないとの理由で)「和田金」松坂屋名古屋本店は撤退したらしい。
この店に最初訪れたときは1970年頃は、二階建ての木造で、長い廊下を渡り、座敷の大広間にしつらえられた席に着いたが、驚いたことに、給仕するご婦人たちは、皆50歳以上という感じで、中には70歳以上に見える人も多くいてびっくりした。そして、わざわざ七輪と炭箱や炭火を持って長い廊下を行き来している光景には風情があった。何故このようなことを書くかといえば、例えば東京などのレストランに、しばしば若々しい女性を多数置いてサービスするやり方によって繁盛している店が多く見られるが、ヨーロッパなどで、良いといわれる店ほど、年季の入ったギャルソンによってサービスされることが多く、私などは、単に若くてきれいな娘さんの給仕よりは、応対に熟練した人の給仕こそが良いと固く信じているので、そのことを言いたかったのである。
話がますます遠回りになって本題のイタリア料理から外れたが、あまりにも美食に過ぎる料理というものは時折食するから良いのであって、毎日御馳走がつずいたら胸がつかえてうんざりするに違いない。そのようなわけでフランス料理はイタリア料理に劣ると言えよう。私の予測によれば、今後とも、イタリア料理店は増え続けていくにちがいない。あと10年もすれば、現在の分布状況が更に全国津々浦々に至るまで広がって、人口2万人前後の町にもきちんとテーブルクロスをセットしたダイニングを持つリストランテが展開されるだろうと思っている。
イタリア料理は日本人にとって非常にわかりやすい。値段も手頃で雰囲気も気楽である。そして素朴な持ち味を活かした調理法と北イタリア料理を除いてバターや生クリームを多用しないオリーブオイル主体の調理法は自然の理にかなっているし、第一健康にとって良いのである。今後の国内市場における外食レストランは古くからあるラーメン屋、カレー屋、とんかつ屋、焼鳥屋、うどん屋、そば屋などの日本食を別にすれば最も大きい外食産業になると思っている。
その理由は、まだあって、仮にフランス料理店で、独立して店を持とうとする場合は、まず、料理を覚えるまでの年限が、5〜10年では済まないこと、グラスやテーブル、そして店のデコレーションが安っぽいと、フランス料理店としての風格が出てこないこと、したがって多額の初期投資が必要で、なかなか店を持つのが難しいのである。特に地方の場合は、今述べた理由により、地方のそれなりに一流のホテルクラスでなければフランス料理店を開店できないことになり、そこで働くシェフのひとたちは、大手ホテルの待遇の中で、そこを飛び出してまで店を持とうとする意欲、独立心をそがれかねないという面があると思われる。
もうひとつ追加すれば、美味しく食べたフランス料理を、一般家庭の主婦がまねしようとしてみても、自分で料理の再現ができない(ソースなどのプロセスが難しいため)ことが決定的に作用するのではないかと思っている。これに対して、イタリア料理業界の展望は、フランス料理と比較すれば全く逆である。先ず、調理法が素朴で、ソースなどにフランス料理ほど手をかけないために修業時代の年限が少なくて済むこと、テーブルクロス等は、タータンチェックのビニール生地でもそれなりに通用すること、デコレーションはロココやロマネスク、アールデコでもなく、そのようなこととはまったく関係無しに、自由な発想で、安上がりであっても店の雰囲気を出せること。すなわち、出店のための初期投資が少なくて済むので独立がし易いのである。
最後に、一般主婦が調理の再現をし易いこと。これらのことが非常にイタリア料理発展に役立っていると考える。たとえば、主婦がどこかのイタリア料理店で食べた味が忘れられないとしよう。雑誌などのレシピを真似て家庭で作ってみる。作ったものが家人に美味しいと誉められる。今度は親しい友人を呼んで家でごちそうする。そしてまた誉められたりする。このようなプロセスを経て、今度は新しいメニューに挑戦する。そのためにまた、新しいイタリア料理店に行って、食を味わった後にそれを再現する。そのようにして次から次へと繰り返しが行われるようになって、レストランも繁盛し、主婦の腕前も上がってくる。このことがイタリア料理店のダイナミズムを支えているのである。
イタリア本国のイタリア料理店ではずいぶん若い日本人が修業にいそしんでいる。日本国内でももちろんのことである。それらのシェフの卵たちが自信をつけてヒナにかえるのにはそんなに時間はかからない。速い人は5年もあれば一人前のシェフになり得る。そしてその若い人達が独立したとすると当然自分の店だから必死になって客を呼び込み、また満足を与えようと工夫する。このようにして、今日、速いテンポでイタリアレストランが増えてきているのである。若い人は先輩に追いつこうとし、先輩は若い者に追いつかれないように、双方が互いに競い合っていく限り、前途は洋々と拓かれるであろう。
イタリア料理が当初日本に入って来たときは、直接日本に入らずアメリカを経由して入ってきたので、このことが後々まで真のイタリア料理に対する大きな誤解を与えてきたことは間違いない。
すなわち、第二次世界大戦の際、連合軍としてイタリアに渡った大勢の兵士たちが、スパゲッティやピザに親しみ、それを本国のアメリカに帰ってから流行させたのである。戦場などで、おにぎりを食べるようにしてピザを食べたりし、アルマイトのカップでコーヒーを飲んだりしていたのではないだろうか。それが大衆化されて日本に入ってきたのである。その頃でもアメリカではイタリア料理店は盛んであったようだが、食生活の貧しい戦後まもなくには、大衆性の高いものを中心にしてはいって来たのだ。スゲッティミートソースやマカロニ、ピザなどアメリカ風に簡易なものばかりである。しかもトマトケチャップやタバスコをかけて食べるなど、本場では考えられないスタイルになったのである。それまでのアメリカではイタリア料理店はあったにしても大衆的なものではなかったと聞いている。
アメリカ兵は士官以上を除けば、田舎出身者が多く、しかもその大半は自分の名前も書けないような低学歴の人が多かったものである。私は青森県の三沢基地からそう遠くないところで生まれており、小さいときから米兵は見慣れているので実体はこうなのだと説明するのに少しも気にならない。彼らは教育水準の低さもさることながら、食事の内容についても極めて質素で(質的に)、大量に食べればそれで良いというような人達が多かったのである。
「イタリアの食について」という書き出しで始めながら、料理や素材について詳しく触れずに終わってしまった。私はイタリアンレストラン向けの食材輸入会社を経営している関係で、東京都内に限らず全国各地の有名レストランのシェフにも接する機会が多く、いろいろ教わることが多く、この業界のことについては一般の人より詳しいだろう立場にいる。それゆえにイタリア料理についての私見を申し述べることに対して、気軽にはなれない。又私の経営する会社が取り扱う商品についての説明なども、宣伝にもなり兼ねないので、出来るだけ触れないように、しているつもりだ。読者の求める内容に合致しないからだ。
最後にイタリアレストランなどで活躍している現在の彼らは、ほとんどの人がはつらつとして輝いているということである。イタリア料理に関する沢山の本がこれらの素晴らしいシェフたちによって出版されているので、料理やレシピに関してはそれらを参考にしていただきたい。そして現状の発展に甘んずることなく、いつまでも美味しいものを作り続けて欲しいと願うものである。
地中海太郎
|
|
 |
| 「イタリア情報あれこれ」のINDEXに戻る |
 |
|
|
|
| Copyright
(C) 2004 by chichukaifoods. All Rights Reserved. |
 |
※本ページをご覧いただくにはFlash Player プラグインが必要です。
またブラウザは「Microsoft Internet Explorer 6.x」以上を推奨します。 |
|