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  フランスの食事について
フランス料理と聞けばなんだか改まった気持ちで、最高に美味しい料理という印象と優雅な雰囲気にを想像して、招待されればうきうきした気持ちになる。逆に人にごちそうしなければならないときは、財布の中身が気になる。女性の場合は、何を着ていけばよいのかなど、ソワソワウキウキという気分にさせられるだろう。そもそもこのフランス料理というスタイルは、元来は、フィレンツェのメディチ家の姫がフランスの王族に嫁ぐ際に、嫁ぐ娘に寂しい思いをさせないよう、調理人を帯同させてフランスに送り込んだことがその始まりであるとされている。

それまでフランスの一般的食事の方式はナイフやスプーンなど使わない、いわば今でもインドやイスラムの世界に見られるように手づかみで食事をしていたものと推量される。

フランス料理の始まりは、まずは王族貴族により一般的に普及したものであり、他の国のように農民や漁師の地場料理などから発展した家庭的料理方法とはその始まりが全く異なっており、しかもそれが今日にも続いているのである。もちろん、今では貴族などは法制的には存在しないことになっているが、ヨーロッパ、特にイギリスなどでは特権階級は潜在的かつ慣習的に厳然として残っている。このような特権階級の人達に支えられ、フランス料理は小市民的食事形態と趣を異にしているのである。庶民の料理形態はフランス家庭料理と呼ばれるものであり、フランス料理店で給仕されるものとは違うのである。

以前はフランス料理店への出入りは、服装などでもそれなりの水準が暗黙のうちに必要とされたようだが、昨今ではアメリカ人に限らず、ヨーロッパの人達でも、ジーンズにラフないでたちで堂々とレストランに出入りしている。このことは、現代の王侯貴族というものに対する解釈が時代とともに穏やかに変化して、ロックミュージシャンなどの成り金貴族、スポーツ貴族やマスメディアの作った貴族など、あらゆる分野における身分や出自に関係ない生活貴族を生み出している現代の世相にマッチさせているのである。

改まったフランス料理店での会食に出かければ、一日のみでも王侯貴族になったような雰囲気がこのフランス料理にはある。荘重華麗なインテリア、メートル・ド・テールやギャルソンの物腰、ささやき合うように直情を抑えた会話など、多少の緊張感を意識しながら、自らを抑え気味にして、その場の雰囲気に浸る気分は、何とも形容しがたいスノビズムを感じさせてくれる。

このように王族貴族のために発展したこの食事形式は、近世に至るまでは一般庶民の食することのできないものだった。王族貴族は自らの勢力を誇示するために、居館というか居城ともいえる豪華な建物を広大な敷地の中に建てて、定期的に彼ら王族の仲間を招待したりして、その居館を取り囲む猟場において、シギやヤマドリ、野兎、いのししなどの狩りをして、夜な夜な饗宴を催すことが多かったのである。今のように一泊とかいうものでなく、1週間、2週間と長逗留する場合も多く、時には芸術家や人気の高い詩人や文化人を招いて、月単位に及ぶ食客として、もてなしをすることを自慢し合ったらしい。

そのような事から、中国の満漢全席に似たフルメニューが食卓に並べ立てられ、考えられないほどの大食によってその場を楽しんだらしい。もっとも人一人の胃袋には自ずと限界があるので、彼らは一旦飲み込んだ食物をもどすことによって、再び胃を空っぽにして延々と饗宴を続けたらしいのである。これならば、いくらでも食べ続けることができるし、肥満防止にもなる、糖尿病や通風対策にもなるのかも知れない。その様な当時の一般常識を今に当てはめて考えたら、とんでもない非常識と思われるかも知れないので、その点は理解しなければならない。

ベルサイユ宮殿のような壮麗かつ豪華極まりない宮殿でのパーティーはその最たるものであったに違いない。そして料理の残り物はそこで働く人達に分け与えたり、時には城主の誕生日などには、一般庶民にもそのおすそ分けをして恵みをたれていたことが当時の風俗などを紹介した書物などからそのことが伺われる。

なにはともあれ、その時分の雰囲気などは今のフランスレストランとは違い、酩酊するほどに鯨飲し、ベルトをゆるめて、お腹を抱えるほどに大食したらしいのだ。挙げ句の果てベルサイユ宮殿においてすら、トイレの必要が有れば、移動式トイレで用便、小用を足し、時には窓から外に向かって汚物を投げ捨てるなど、今の尺度で考えればとても粗野でお話にならない類の常識が支配していたのである。

その後フランス革命などの歴史を経て貴族制度や王政が法律的に消滅した後、仮にブルボン王家であるとかカロリング王家であるとかの王族や領主に抱えられていた料理人も失職する事態になり、結果としてそれらの人々によるレストラン経営によって、フランス料理なるものが普及したとされている。必然的に宮廷料理に近いものが庶民階級まで広がったのである。

当然の事ながら、それはソムリエを伴っているし、菓子職人、いわゆるパティシェなどを含む話である。そのような饗宴料理としての性格というものは、単に空腹だから食事をするといったものとは当然違っており、美味の追求のためにはあらゆる工夫が重ねられ、食材についても珍味珍肴を要求されたであろう。その中から、フランス料理特有の調理方法が開発されたものと理解される。永い調理研究の歴史あってのフランス料理なのである。

下味をつくるために何時間も、いや時には何日間もかけて美味を追求したであろうし、他のパーティーには出されていないような我が家のオリジナル料理を用意するために努力したに違いない。これは当然、各家庭で毎日つくられる料理ではマネのできないことである。あくまで職人による洗練された料理のみがフランス料理店で提供されたことと同根である。この様にして発展したフランス料理であればこそ美味にして食べることの幸福感を感じさせてくれるものであろう。

一方家庭料理の内容は、今述べたような理由によってレストランのフランス料理とは全く異なっていて、シンプルでより質素なものである。むしろ、パスタこそあまり食べないものの、イタリア料理法的プロセスやメニュー構成で供される感じがする。もちろんソースを重要視することに替りがないとしても、素材を手短に利用している。そして作りおきのソースやパテなど家伝の味を大切にしていることが伺われる。フランス料理もイタリア料理と同様に、地域に根ざした個性的な面が当然あり、サヴォア風、リヨン風、プロバンス風、マルセイユ風、ブルターニュ風、ノルマンディー風、アルザス風など変化に富んでいる。

フランスはどんな田舎に出かけてもこぎれいで立派なレストランがあり、料理人、給仕人ともに洗練されていて気持ちがよい。レストランの建物が質素なものであったとしても、ダイニングルームはテーブルがきれいにセットされていて驚くほどである。人々が食事特にレストランで食べる時間を非常に楽しみにしていることが感じられる。ファストフード店もないわけではないが、それよりもむしろ、ゆっくりと心地よい雰囲気の中で美食ができるようになっている。これは、スペインやイタリアなどにも共通しているが、名も知らぬ小さな田舎町にも必ずこぎれいな、食事の美味しいレストランがある。ラテン系の人達は、一家揃ってとかの夕食の時間などを神聖視するような習慣があって、けっして生活が豊かでないにしても、食卓はいつもきれいだ。

地方に点在するオーベルジュ、すなわちレストランが付随するいわゆる料理旅館では、一般的にレストラン部門は問題なく美味く、かつきれいにしている。しかし宿泊施設に関しては時として清潔さとか設備面での問題はある。オーベルジュは全国に散在している。レンタカーの旅の疲れをほぐしてもらうにはこのオーベルジュはオアシスを思わせるものがある。

話が変わるが冬の寒いパリの街角などでアツアツの焼き栗をほおばる楽しみ、手をかじかませながらガス灯(?)の下でレモンをきゅっと搾って食べる生牡蠣などは、立ち食いながら美味で、冬の風物詩としてパリの風景になくてはならないものである。パリジェンヌはクレープなども好きなようだ。

そんなひとときのパリを私は好んでいる。フランスのチーズの美味なることはいわずもがなである。テリーヌ、パテ、チーズはやはりフランスに限る。オンフルールやノルマンディ地方で食べる新鮮なムール貝やひらめなど、またブルターニュのロシェルなどで陸揚げされるオマール海老やかきは絶品であろう。そういえば「料理の鉄人」番組で誰でも知っている渋谷のロシェルのオーナーである坂井氏はここの土地で修業をしたはずである。私も仕事を通じてここの総料理長をしている工藤氏にはひとかたならずお世話になっている。

ペリゴールの黒トリュフやフォアグラも外すわけにはいかない。カルカッソンヌやニームなどにはシックで洗練された料理店が多く、何度行っても食べ飽きない。マルセイユのブイヤベースは日本人の大好物だ。このブイヤベースはフランス料理として考えるとやや本流を外れたものであるが魚介の食べ方としては最良のもののひとつであろう。

リヨンは言うまでもなく、ポールボキューズの名店がある場所であるが、今ではそれにも負けないほどに人気のある新進の料理人が育っている。いずれにしても美食の町としてはフランス屈指の地なのである。

マルセイユからリヨンまでの途中にヴァランスというローマ時代からの落ち着いた町があるが、ここにも良い店がある。シャンベリーからジュネーブ寄りに入ったアヌシーの町も良い。リヨンから西のボルドーに向かってクレルモンや温泉地でもあるヴィシーの方面も又、とても豊かな土地柄である。

エスカルゴやマスタードなどで有名なディジョンに触れる。ここはイタリアで言えばボローニャのように豊かな大地に囲まれて物資が集散する交通の要衝でもある。近くのボーヌの町は素晴らしく魅力のある町でニュイ、ポマール、ジュヴレ・シャンベルタンそしてロマネコンティなどブルゴーニュ地方の良質のワインが取引される町である。ボーヌとディジョンを結ぶ街道の両側には世界でも最も良質のブドウ畑が広がっている。日本ではボージョレーが知られている。

ただし、私は何故かボーヌを訪れていないのである。ディジョンを訪れていながらすぐ隣のワインの町ボーヌについての認識には欠けていたのである。本書で紹介される土地やレストラン、ホテルはほとんど、自ら出かけてその体験を基本にしているが、スペインのカディス郊外にあるプェルト・デ・サンタマリアの時と同じように家内と家内の妹夫妻から聞いた話であって、機会があったら是非訪れたいと思っている(この著作物を書き終えて校正をするまでの間にシェリー酒で有名なヘレスのまちに行く機会がありおとずれたが)。家内の妹である井上夫妻はドイツのハイデルベルグに仕事の関係で長年住んでいたので、貯蔵用のワインを仕入れるために再三このボーヌの町を訪れている。

ディジョンからTGVの超特急新幹線に乗ると1時間半もあればパリのリヨン駅に到着する。ここ迄の移動はレンタカーよりフランスご自慢の新幹線が良いようだ。一時間ちょっとでパリリヨン駅に到着する。そこの駅舎の二階にあるフランスレストラン「トランブルー」は程良い大きさで、天井一面にフレスコ画が描かれていて宮廷風の雰囲気を持っている。もちろん料理にしても、ミュシュランの星つきの店であり、シャンゼリゼにあるフーケの店と似たようなメニューで統一されている。正統派と呼ぶべきか。およそ、いろいろな国を歩いてみても、駅舎の中にこれほどの立派なレストランを持つのは、ここパリ・リヨン駅をのぞいて世界中にないのではなかろうか。これにはそれなりの理由があるのである。あまり飛行機を利用しなかった時代、そして新幹線がない時代のパリでは、ニースやカンヌそしてモナコ、モンテカルロなどのコートダジュールに出かける際に、ここリヨン駅から夜行列車に乗って出かける事が一般的だった。その際、別れを惜しんだり、また出迎えて食事をとったりといろいろな事情により、会話を愉しめる場所として優雅な人達の離合集散の待合いに利用されたものであろう。無論、現在にしても、世に知れた名店で客を惹きつけている。

パリ市内、セーヌ川をはさんでサントノーレの真中辺にあるエリゼ宮のあたりを一区として時計回りに二区、三区と渦巻き状に区割りをしているようで、パリの何区に住んでいるかによって、経済状態がどうかとか、どのような職に就いているかなどが推測できるという人もいるが、ここは美食の町で、仮に何区であっても食事は充実している。そのうちでも極め付きは、ヴァンドームからマドレーヌ広場、オペラ座にかけての三角形の中、シャンゼリゼからモンテーニュ通り、トロカデロ広場、凱旋門にかけての内側に集中している。今述べた地域のホテルやレストランのレベルは非常に高い。

もし、これらの地域の最高級ホテルに滞在し続けたら、あっという間に財布が空っぽになるだろう。しかしレストランについては特別なワインなどを所望しない限り、フルコースをとってもそんなに高くないのである。日本の半分以下の料金で立派なディナーが楽しめる。しかし、メートルドテルやギャルソンのサービス、店の雰囲気は日本とは比べ物にならないほど洗練されている。シェフの腕前についてはどうだろう。日本人シェフの腕前は決してフランス人一流シェフに比べても劣ることはないように思える。レストランの経営上の問題を別にして、食材さえ準備されればどのようなメニューでも充分にこなせる力量を今の有名シェフの人達が持っていることは間違いない。ただ店の雰囲気とかギャルソンそしてソムリエの所作に関しては、優美さの点ではるかにかなわない。これはいつまでも追いつけないことなのかも知れない。

パリではホテル付属のレストランなどにも素晴らしいものがある。殊にリッツやプラザアテネのメインダイニングは大きさも手頃で華麗さを絵に描いたようである。リッツの気楽なテラス風のダイニングも良い。経営がアラブ系の例のドディ・アルファイド氏(息子は英国のダイアナ王妃と事故死した)に変わってから、正面入口すぐ左側にあったラウンジもなくなってしまった。今のコンシェルジュのカウンターのある右側の奥にパティオ風の小さな(天井は明かり取りのガラス張りがしてある)レストランがあり、最もお気に入りの場所だったのだが、2〜3年前に立ち寄ったときには改装されて、無くなってしまったようで少し寂しい気持ちがした。一番奥にあるヘミングウェイバーは当時と変わらずこじんまりとしているが落ち着いた雰囲気をかもし出している。ここのカルバドスのX.O.はうまい、全て美味しいのは当然として私はここではカルバドスにこだわっている。プラザアテネのメインダイニングは入って正面奥にあるが、ここはやはりパリを代表するホテルの一つとして華麗さに満ちている。華麗さではリッツを超えている。

ホテルクリヨンのレストランで7〜8年前に会食したときのことである。スープがあまりにも塩辛いので、ギャルソンにクレームを付けたら、5分も経たないうちに新しいものと取り替えてくれたが、とにかく塩分がきつくて驚いた。だいたい、西洋人は日本人と比較して25%前後多めの塩分をとるように思うが、それ以上だったのである。そのような場合、決して遠慮しないでクレームを出すべきである。きちんとしたレストランであれば、すぐに対応してくれるだろう。

この近くにあったホテル・ド・ムーリスは、元ヴァンセーヌの酒井シェフが重要な仕事を任されて、かの天才芸術家サルバドール・ダリの食事なども担当していたとのことであるが、その荘重な雰囲気はホテルの格式というものを味わせてくれたものだ。2000年の春にこの辺りを歩いたが、見つからず、場所を間違えたのかと思ったが、そんなはずはない、あの周辺は若いときによく連泊して夜の街を徘徊していたのだから。

3〜4年前に亡くなった親友の一人で当時全国歯科技工師連盟会長横山勇氏と、ホテルムーリスの前にあるインターコンチネンタルホテルを定宿にして奥さん公認でよく遊び歩いたものである。ここまで書いてきて、当時を思い出したら、すこし目頭が熱くなったようだ。また、旅行仲間であり、私とは一番親しかった日産自動車販売の営業部長だった円谷泰光氏も肝硬変で2年前に亡くなった。当時まだ60歳だったが悔やみきれない気持ちだ。大泉学園に奥さんの節子さんが健在だが、仕事にかまけて、めったに霊前にも行けず申し訳なく思っている。横山氏はガンだったがやはり享年60歳であった。年齢も近く、若い頃からの遊び仲間で、最も親しくしていたので、この本に代えて冥福を祈りたい。

そして私も今57歳である。親しい両氏を失って、今のうちに自分の来し方を振り返り、費やした時間や内容を考えれば、我ながら良くもこんなに歩いたものだと思えなくもない。57歳というこれまでの積み重なった経験が、たまたまそのような結果になったと思われなくもないが、暇さえあれば旅に出かけていたのであろう。

早くに友を亡くした身にとって、私もその年齢に近づいているので、それなりに整理整頓して、その地域に関心を持つ旅行者のため、歴史に興味ある人のため、食に関心のある人のために、すこしでも役に立つことが出来ればと思うことが、執筆の大きな動機にもなっている。もう一度断っておきたいことは、旅に関する費用は全て自身の事業からの収益で賄っており、若いときから親の遺産など一円たりとも援助は受けていない。そのことは今紹介した友人二人にしても同じであるが、やはり自分で稼いだ金だから誰に遠慮する事もなく遊べたのかもしれない。今にして思えばこの三人はずいぶんと遊びっぷりも良かったが仕事もそれに劣らずしたように思える。

話題がだいぶそれてしまったが、さすがにパリは世界中の人が憧れる「華の都パリ」である。この町には有名で上質なホテルやレストランが無数にあり、ため息が出てくるようである。しかし、本当に美味しい食事がしたかったら、やはりレストランのみを経営している専門店に行くのがよいだろう。バンドーム界隈には、マキシム・ド・パリがあり、また親しく接してもらっているハナエ・モリビル内のパピヨン・ド・パリの上原雄三総料理長の修業したルカ・キャルトンなども近くにある。また、凱旋門近くには、いまパリで最も注目されている「ステラ・マリス」(日本人シェフ吉野建氏が小田原の繁盛店を引き払って単身パリに乗り込んで今日の評判を確立した)がある。アラン・デュカスやロブションからいずれ近いうちにミシュランの三ツ星が獲得できると太鼓判を押されているとのことである。そうなれば文化勲章に匹敵する素晴らしい快挙であり、万歳と快哉を叫びたい。私は未だこの店を訪れていないので、機会に恵まれたら一度客として訪れてみたいものだ。

その他、イル・ド・フランスと呼ばれるシャンティイやフォンテンブロー、ランブイエの郊外にも多数の名店が揃っている。一昨年宿泊したバルビゾンのオーベルジュのバ・ブレオも宿泊施設は豪華と言うことなくむしろ質素なものであったが真夏の朝日や夕暮れのときに、大樹の下で朝食、夕食と三日間連続してとった食事は、サービス、料理の内容とも素晴らしかった。特に近郊でとれる野菜や果物、チーズなどのメニューが豊富で、中でも殊にパプリカのムースの美味しさが忘れがたいものとなった。

世界の料理の中からどこの国の料理が一番美味しいかと問われれば、私はフランス料理をあげる。次ぎに中国料理である。欧米人に言わせれば3番目はトルコ料理という人もいるし、ベトナム料理という人もいて、それぞれ違うが、私の場合、日本人なので、三大料理の中に日本食を加えている。しかしイタリア料理が一番口に馴染んで好きだし、最も親しみやすいのでこれを三大料理の中に加えたいのだが、ある意味ではフランス料理がこれを代表しているので敢えて加えない。フランス料理を誉めてばかり書いたが、この国の人々はベトナム料理やアラブのクスクスなどを好んで食べるし、これらのレストランはフランスの地方都市にも数多くある。もちろんパリなどの大都会ではイタリア食、日本食などと、各国の料理店が店を構えていることは当然だ。美食天国であることに間違いない。

しかしながら、フランスのあちこちを旅をして1週間も滞在すれば、もちろん日本料理が恋しくなる。日本料理店は、値段が結構高いので、そうなると中華料理店やイタリア料理店に入りたくなる。そしてフランスからイタリアに入国することになると、パスタが食べられる。イタリア料理が食べられると思うことになり、ほっとする。問題はここにある。フランス料理というものは、美食を追求するあまり、コレステロール値が高く連日続ければ胃に負担がかかって、もう結構だと思われる要素を持っている。生クリームやバターを多用することも大きな問題である。家庭料理から出発したわけではないので、美食に偏りすぎ、毎日食するには無理がある。

このような結果からであろうか。約15年ほど前ぐらいから、ヌーベルキュイジーヌなる新語がもてはやされるようになり、それなりに、その道の新進料理人が名をあげることになった。カロリーなども考慮した新作のフランス料理のことで、よりシンプルに盛りつけされている。多分に、日本における京料理のように、皿も盛りつけもより繊細なものになった。これにはフランスに在住する日本人シェフの活躍が大きく貢献したことが広く知られているが、国民性による身体の内部構造に違いがあるのであろう。ヌーベルキュイジーヌという流れが料理界に与えた影響は大きく、今の料理に反映されているが、最近になってまた以前のようなこってりした伝統的フランス料理に回帰しているように思われる。根本的にフランス料理はレストランなど外食で食べることが、そもそもの成り立ちから当然ならば、少しばかりこってりしようが毎日食べるわけでないので、問題はないかも知れない。ディナーは夜8時頃から始まる。そして夜11時過ぎ頃まで、ゆっくりするときには0時を回って午前1時頃に及ぶことも珍しいことではない。週に1度くらいのレストランのフランス料理なら問題はないのだが、連続3日間も続けば、胃が疲れてうんざりする事が多い。いずれにしても私は日本人である。これを読んでいる日本人の方には私のフランス料理に関しての意見に同感される方が多いだろうと思っている。

そしてフランス料理店でのマナーについて言えば、私はほとんどこれを意識したことはない。メニューやワインに関しても知らないと言って良い。そしてフランス語の知識もほとんどないのであるが、最小限度のフランス語をできるだけ話すことにして英語で不足を補いながら、その時々の自分の欲求によって、ギャルソンを呼んで、あれが飲みたい、これが食べたいがと注文するようにしている。その方が結局、自分の求める食事にありつくために一番正鵠を得ているようだ。初歩的なことをたずねることは恥ずかしいことかも知れないが、私はフランス人ではないし、素直に自分が料理について無知であることを告白したところでなんの恥にもならないと、半ば開き直ってそのように思い行動している。

フランス人に日本の料亭などで、ふすまの開け閉め、畳の踏み方、着座の仕方から始まって、先付、向付、八寸がどうのこうの、食材や調理法がどうのこうのと言っても、知っている人がほとんどいないのと同じだと考えればよい。もちろん、マナーやメニューの選び方が良くできていれば、しかもフランス語が話せればスマートに振る舞ってみたいものだ。しかし、私にとってこれは憧れにしかならない。

無理に良い恰好をして流暢でもないフランス語で、アントレがどうだ、デグスタションがどうのと粋がって注文して、こんな筈ではなかったと後で悔いを残すことにもなりかねない。いくら世界的フランス料理といったところで、異邦人にとって知らないのは当然のことだ。無理をして頑張ってみてもサービスをする人にはミエミエでおかしくもあろう。

若いときの私は気取ったりして、かなり無理をしながら内容と味が少ししか理解できないメニューを見て、判ったつもりで注文していた。したがっていつも発音のできる同じ物を注文することが多くなり、今考えてみれば全くばかげていたと気づき、思い出しながらも冷や汗をかく思いがしている。

しかし、フランス料理店に出かける場合は、慣れ親しんでいますとすよと、いう態度をしたりして、気取った態度をしたとしてもは責めるべきではないと思っている。多少の気取りと心地良い緊張感の中で自己満足ができるならこれはこれでよいのだろう。よそ行きの食事こそがフランス料理である限り、これも楽しみのひとつなのかも知れない。高い出費をするわけだから。またフランス料理をおしゃれして食べに行くことは、楽しみを満たす、うれしい出来ごとなのだから。ただし、大声を出すとか、動作をけばけばしくすることを避け、穏やかに振る舞う事はきわめて大事なことである。それさえ心得ていれば何も気にすることはない、あとは堂々として穏やかな態度に終始すること、それで十分なのである。

地中海太郎

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