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  マグレブ(地の果て)モロッコの印象
モロッコへは外人部隊やカサブランカの映画に影響されて憧れていたこともあって、地中海沿岸の国々の中ではもっとも早くから行き始め、旅行先としては大好きな国である。(エキゾチックな気分を満足させられるからと思う)

初めてモロッコを訪れたのは20代前半の頃で、ニューヨークからリスボンに立ち寄って深夜に到着した。そのときに窓外から眺めた星空の輝きは今でもはっきり覚えている。カサブランカの空港はバラック風の小さな空港で、漆黒の闇の中にいるような気がしたものだった。早速タクシーに乗ってホテルカサブランカに乗り付けたが、タクシー料金のことで一悶着があった。後でわかったのだが、運転手が請求した金額が現地通貨のディラハムであったのに対し、アメリカに長期間滞在して日本への帰途にあった身で、それをドルと間違えて聞いたのであった。ふざけるんじゃないと思う気持ちで言い合いになったのだが、むこうは、英語がほとんどできず、フランス語で話すので、らちがあかず、すったもんだの揚げ句に、ホテルのフロントまで行って仲裁してもらった。原因が単純なことだったので、お互いになんだそんなことだったか、というわけで、握手してチップをはずんで別れたのであった。そのとき以来、スペインやポルトガルなどに行ったとき、時間を作って時折モロッコに出かけることになるのである。

カサブランカで初めて日の出とともに始まるコーランの読経すなわちアッザーンを聞いたときは、何とも言えない感銘を受けて、エトランゼになれたような気がした。当時のホテルカサブランカは今のカサブランカ・ハイヤットリージェンシーとは違い、現在、正面ホテル脇に再現された「名画カサブランカ」を再現するバーカサブランカはなかったし、リージェンシー系列ではなかったように思うが、当時としてもカサブランカ一の最高級ホテルであることは同じであった。

前に述べたように、たまたまグラナダ周辺をドライブしていた時にパリ・ダカール・ラリーと巡り合わせたので、アルヘシーラスからタンジールまでフェリーに乗って、途中一泊してカサブランカまでラリーに混じってドライブを楽しんだのである。ホコリにまみれて休憩のため、再びホテルカサブランカにたどり着いたとき、ラリー出走チーム、宇治オートのオーナーの古後氏と初めて出会った。以来知遇を得ているのだがその時は、バー・カサブランカで、オーナーコートを着た古後氏が、衛星連絡を受けながら、日産車体の技術部長の大橋氏と車に指示を出している姿が、まぶしいほどまことに晴れやかに見えた。一度のレースに数千万円の出費をするのだから、輝いて見えるのも当然のことであろう。そんなロマンに大金を使える人はそんなに多くはないだろうしパリ・ダカと聞けば大概の男はいロマンを感ずるに違いない.

だいぶ前になるが1967年に初めてカサブランカに旅をした翌朝のことである。ホテル・カサブランカの裏手の方には、バラックの店が建ち並び、殆どの女性がベールで顔を隠し、長いコート風の上着に身体を隠し、顔や手など衣類からはみ出した部分は、いろいろな図柄を思わせる刺繍にも似た入れ墨(後から知ったが、ヘンナという染料で描くようだ)をほどこして、ぞろぞろと歩いている雰囲気には少し驚いた。

男性は、もちろんジェラーバと呼ばれるドンゴロスのようなフードつきの上着をまとっている。ほとんど日本人観光客などいないその当時、その中に身をおいたときの気分は、不気味ですこし緊張したことを、しっかりおぼえている。英語は通じないし、薄気味悪く心細いものがあって、気の弱い人物なら泣き出すことになるのではないかと思ったものである。今では、いろいろな旅行記やガイドブックが充実していて、なにごとにもそんなに驚くことはないのであるが旅慣れた身であったとしても、イスラムの異質な空間に初めて身をおいた時の印象はそのようなものであった。

前述の女性の化粧についてであるが、後日知ったのだが、ヘンナで化粧したというか、入れ墨風なものを施した女性達は、貞節で信仰心の篤い人達だと知らされた。これは2度目に訪問したとき、内陸深くを知りたいと、マラケシで雇い入れた車持ち込みガイド兼運転手から、1週間にわたる旅行中に聞いた様々な話の中のひとつである。婦人は家族や、夫以外に自分の肌を見せてはいけないそうで、したがって、袖からはみ出す手首や足首の部分、チャドル(ヴェール)からはみ出す顔面の部分に、できるだけ入念に、刺繍状の絵模様を施すことが、信仰心の証として尊敬されているとのことである。

場合によっては顔面を隠すために、更に頭から真っ黒いレースのベールをかけて、どちらが前後かわからないように装った人達も結構見受けられた。2001年の秋に発生したアフガニスタンがらみの事件でパキスタンやアフガンの事が頻繁に映し出されていて、珍しい事ではなくなったが、御婦人方が頭からすっぽり身にまとうものを現地ではブルカと呼ぶらしい、同じイスラムの世界でもマグレブと呼ばれるモロッコ、アルジェリア、チェニジアやシリヤやヨルダンなどの中東そしてイランやアフガニスタンなどを一つの区切りにして呼称の違いが見られるようだ。たとえばバザール、スーク、メデイナは同じ意味の言葉である。

初めてモロッコに旅行をした1967年頃には、そのような光景があまりにめずらしく、うっかりカメラを向けてしまって大声で怒鳴られたものである。トルコなど近代化されたイスラムの世界は別だが、他の保守的な国のイスラム諸国では、無造作に写真を撮ったりしてはいけない。このことは、たとえ観光客であっても、ノースリーブなど肌を露出する服装は慎むべきだということにも通じるのである。それでもこの十年間ほどの間にはそれなりの意識変化が見えて、徐々に欧米的文化が受け入れやすくなってきているようだ。TVやインターネットとかの普及によるものもあるのかもしれない。

旅行者にとっては、そのような伝統的風俗を残したままの方が興味をそそるし、エキゾチックな気分になれるので変わって欲しくは無いのだが、それではアフガニスタンのタリバンの強いる中世のような不便なくらし向きを受け入れるかといわれれば,もちろんその様なことではない。

カサブランカやマラケシュなどの南の部分は一部のオアシスをのぞいて、殆ど赤茶色の土壌に石ころが無数に混じり、およそ農耕は不可能と思われるが、早春には砂漠ではない土漠にタンポポやポピーや無数の野の花が咲き乱れ、遠くから眺めればとても美しい景色である。

しかしながら首都のおかれているラバトやメクネス、フェズからタンジールに至る地域の大半は、色濃い緑に覆われていて、此の国が農業国であることを知るのである。雨は殆ど降らないのだが、アトラス山脈などの雪解け水が伏流水となって流れ出しているに違いない。

地中海太郎

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