|
|
|
|
|
|
 |
 |
 |
 |
 |
 |
 |
 |
 |
 |
 |
 |
 |
 |
チュニスの旅について |
 |
 |
 |
地中海全域(テレニア海、アドリア海、エーゲ海等も含む広義の呼び方として)にわたって展開された戦乱と興亡の歴史は東のギリシャ、ペルシャなどに始まり、フェニキアを含む今のシリアからカルタゴ、スペイン、ローマ帝国、ノルマンなど枚挙にいとまがない。このことについては何度か書いた。
更には、今のイラクのバクダッドにあったアッバース王朝の勢力争いに破れたムアーウイアの「後ウマイア朝」に関して言うならば、東地中海の端からカルタゴ、モロッコを経てスペインまで本国をのがれて西の果てまでたどりついて王朝を開いたのである。直線にして約4000Kmの旅を動力のない時代に、帆船にいっぱい逃亡の荷物をつみ込んで西の果てマグレブまで逃れたに違いない。
もっともローマ帝国もスコットランド辺りまで版図を拡大している。イングランドとスコットランドの国境線に、今でもハドリアヌスの建設した石を積んだ壁が残っている。これより先にもはや国はないとして、ローマ帝国は、人の住む限界はここまでと自ら認めて、帝国の境界線に石塀を造ったのである。エジンバラに向かう国道幹線に、「ここよりスコットランド」と大書された標識があって、必ず目に入る。
この地域に見られる侵略したりされたりの興亡の歴史を学習すれば、複雑に絡み合っていて、単なる歴史好き位ではとても覚えきれない。小アジア史を含むすべてのヨーロッパやスラブなどが複雑に関わっていて、ややこしいし、宗教面でも、イスラムとキリスト文明との相克によって、全ての歴史が彩られていることに気づく。歴史書を調べながら、正確を期しているが、複雑すぎて頭が痛くなるほどである。
チュニスから車で3時間ほどの内陸に北アフリカ最古のイスラムによる古都カイルアンがある。そのカイルアンとカルタゴの遺跡を見たいと思い、マルセイユからフライトしたことがある。十字軍の遠征もそうであるが、イスラムの布教にかける情熱については、灼熱の大地を越え万里の波涛を越えて、西の果てにまで布教しつくしたそのエネルギーのすごさに驚嘆させられる。
後期ウマイヤ王朝は数千キロメートルの流浪の果てに、このチュニジア(昔のカルタゴ)の内陸に営々と執念を積み上げて、ここのカイルアンを拠点にしてアルジェリアそしてモロッコのフェズ、メクネスなどに足場を固めながら、結果としてイベリア半島の全域に渡って版図を拡大したのである。
話は変わって、今日の我々が限られた十分な可能な時間をもらったとして、東京から京都まで徒歩又は馬に乗って行ってこいといわれたとしても、そんなエネルギーなど持ち合わせている人間など有りはしない。鎌倉や江戸時代の人達は、これらの距離をひんぱんに往来していたのであり、それを考えただけで、人間のエネルギーのすごさを感じる。しかし、この地中海世界を巡る覇権の争奪戦に見られる、長駆往来のスケールは、ケタ違いなのである。生き延びなければならない本能と、他を勢力下に置きたいとする野望と、それに加えて宗教心による伝導の執念なのか。このようなことを考えると、血を流したりして命の保証のない遠征をあえてする人間というものの、原始的力強さに驚かされる。
最近はインターネットだ、Iモードだ、ITだといって、情報通信による社会革命と呼ばれる文明が全盛であるが、それは利便の問題であって、人間の生活の基本に絶対になくてはならないというものでもない.それのみでは電話回線を使って荷物を運べるものではないし、キーを打っても、けっして三度三度の空腹は満たされない。一次産品の生産が基底になければならないのである。コンピューターのもつ意味と暮らしに与えてくれた利便の良さは、まさしくたいへんに大きく意義のある革命と呼べるものであり、これからはこの文明の利器を使いこなしていかないことには、時代に取り残されてしまうであろう。しかしこれらは人間の幸不幸とかあり方とは別な観点で考えるべきことがらなのである。
歴史の興亡の中でのそれぞれの民族が命を懸けた行動は、たとえそれが余儀なく強制されたとしても、苦しみが深ければ喜びは更に大きく、そのような喜怒哀楽に満ち満ちた世界に思いを馳せた屡のも悪くはない。
さて、イラクのバグダッドは一度訪ねたいと思っているが、今は未だ機会がなくて訪れてはいない。ここはチグリスユーフラテス文明発祥の地である。二千数百年にわたって繁栄を続け、紀元前500年にペルシャに亡ぼされたと書物に書いてある。その後8世紀にアッバース朝イスラム国家がバグダッドに都を定めたらしい。
問題はその先であるが、バグダッドに建てたアッバース朝とシリアのダマスカスに都を定めてモンゴルに亡ぼされたウマイヤ王朝のカリフの末裔との間に、スンニー派とシーア派の意見対立があった.何かの書物で読んだが、敗れ去ったウマイヤ王朝の生き残りの人達が追われ追われて、辛苦の果てに、このチュニジアのカイルアンに拠点を造り、ベルベルの人達を教化しながら、ついにはイベリア半島全域を勢力下に置いて、今のスペインのコルドバやグラナダにウマイヤの望郷が伝わってくるようなイスラム文化の都を造ったのである。
後期ウマイヤ王朝によるイスラム文化の普及、伝導は、地中海世界ほぼ全体に達するほどで、このことを抜きにしては、語り尽くすことは不可能なのである。これらの影響力からすれば、ナポレオンがどうだとか言っても、比較のできぬほどの影響を後世に残している。
チュニジアは観光立国の国である。カルタゴの歴史を別にすれば、地中海に面する海岸線は、なだらかな平原が広がりを見せており、オレンジ、デーツ、アーモンド、いちじく、そしてオリーブの畑が延々と南北にのびる、比較的豊かな土地柄である。長い海岸線には、近代的な設備を持ったホテルを始めとして、フランス、ドイツなどからの観光客用のリゾートが無数にある。北アフリカの中では格別に治安も良く、こぎれいな町並みは一瞬フランスの田舎町を感じさせるが、庶民的なリゾート地であることも好まれて、物価なども安く、四季を問わず、バカンス客が多い。気候や海の青さについては、地中海世界一番と言えるかも知れない。
日本から、グァムやサイパンにでかけるようなちょうどそのような感覚で、フランスから観光客が来ているようである。このチュニスからシチリアの西部にあるトラパニという町にはフェリーで8時間で行けるので、イタリアのトラパニに渡ってもいいかもしれない。
地中海太郎
|
|
 |
| 「イタリア情報あれこれ」のINDEXに戻る |
 |
|
|
|
| Copyright
(C) 2004 by chichukaifoods. All Rights Reserved. |
 |
※本ページをご覧いただくにはFlash Player プラグインが必要です。
またブラウザは「Microsoft Internet Explorer 6.x」以上を推奨します。 |
|