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  アレッポそしてトルコ国境の厳戒態勢
ギリシャからトルコを経てシリアに至る間一部をのぞいて途切れ途切れのドライブ旅行をしたが、イスラエルには行っていない。

古代の遺跡パルミラに行ったついでに、シリアの北部にあるアレッポの町に着いたのは夜遅くであった。アレッポは4000年もの歴史のある古都であり、ビザンチンの都への往還、あるいはエルサレム巡礼の際には重要な拠点として働きのあった都である。シリアで二番目に大きい都会であるが、今では、交通の要衝であった昔日の面影は感じられず、落ちぶれた感じの漂う土地である。ここの見所はバザールであり、必見の場所である。アーケードの天井にドーム状に黒い屋根がかけられており、その天井に無数にあいた小さな穴から太陽光線が入り込むのが印象的である。朽ちて穴があいたのか人為的に星空のように見える天井を作ったのかは判らないが、ここには庶民の暮らしの全てがあるのである。

アレッポの城塞は市を見下ろす高台にある。2000年以上の歴史を持つ風雪を経た古城である。地理的にも重要な地点にあったため、長い年月の間、要塞として数々の戦乱をくぐり抜けてきたこの城はアレッポ必見の場所である。

シリアで特に感じるのは、十字軍の遠征の為に点々と距離を置いて築城された要塞があることである。その距離は一朝事態が風雲を告げたら、「のろし烽火」によって連絡をとり合えるよう築かれていて、それぞれが高台から高台へと切れ目なく、続いているような感じであった。煙の形を変えたり、間隔にリズムを与えたりして、伝えるべき内容までもマニュアル化されていたにちがいなく、詳細に伝わったのではないだろうか。

当時はローマからの伝令事項は多かったはずで、シリアに限らず途中随所にこのような「のろし」があったことと推察される。古城のうち最大のものは、ホムスという町と地中海に面するタルトウスの港町との中間にある山の高台に威風堂々とそびえる「クラック・ド・シュバリエ」と呼ばれる名城がある。今でも1996年)その周辺は何故かしらないけれど、シリアの軍隊が警固していた。堅固なこと、重厚なこと、風景とうまく溶け合った威容は素晴らしく、規模において、中東からヨーロッパに存在する要塞としては最大のもののような気がする。シリアでは必見の地である。

旅の話が前後しているがアレッポから車で40〜50分も走ればトルコとの国境検問所がある。シリア兵が武装して警固していることは無論である。大型貨物トラックが50〜100台と並んで税関検査を待っていた。一旦シリアを出て、アンタキア(トルコ領)まで出掛けてまた戻るつもりであったが面倒そうなので諦めて、重連の水車で名高いハマの町から地中海東端の港町ラタキアを目指した。ラタキアは北部シリアでアレッポに次いで大きい町である。この町は車の交通が混雑しており、落ち着いた雰囲気がなかったので、地中海沿いにタルトウスまで行き、海辺に建てられた地中海の潮騒の音を聴ける宿に泊まった。

タルトウスは小さな町であるが、フェニキアやローマの時代から後背地に繁茂するレバノン杉を使って軍船や商船などを作っていたアルワード島は目と鼻の先にある。アルワード島には通船で20分前後で行けるので、当然行くことにした。

アレキサンダーなどの時代に、船は殆ど、この地で造船されたと聞いて歴史を追想した船の。竜骨等に使われるレバノン杉が豊富にあったことから、アレキサンダー大王やローマ帝国軍の軍船、そしてギリシャの軍船が造られたのである。その当時としては地中海世界最大(世界最大)の造船所があったと地元のチャイハネ(茶店)できいた。レバノン杉は、グラナダのアルハンブラ宮殿の天井の梁にも使われている。

私は、杉のような軽くて柔らかい材質のものが、なぜ梁に使われたり船に使われたりするのかと、いぶかしく思っていたのであるが、たまたまシリアをドライブ旅行しているときに、レバノン杉を大量にストックしていた製材所を通りかかり、何気なしにその原木を持ち上げてみて驚いた。重量感は日本の杉とは全く違い、ずっしりと重く、むしろマホガニーかチーク材よりもきめが細かく重いのである。成長には、ヒノキよりも更に時間が必要とされることが理解された。これなら船の竜骨に使えると思った次第である。

周囲は1時間も歩けばこと足りるこの町には、島の中心の高台をぐるりと廻る歩道があり(車は一台もない)およそ300世帯前後が住んでいるように思われた。古くからの石畳の道を歩いて見たら、まるでゴミ箱のように紙くずなどを捨ててあってうす汚くて驚いた。中には自分の門内のみをきれいに掃除してある家もあったが、とにも角にも驚いた。これとは前後するがアレッポ城へ行く道すがらでも同じ様な光景を見た。アレッポで最も大きいと思われる墓地を通りかかったときに、やはりゴミに埋もれたような墓地だったので、この国の貧困とくらしを知る上での参考となったと思っている。

中東はどこに行っても乾燥しているので比較的疫病が発生しないのだろうか、したがって風が吹けばそのうちゴミなど吹きとんでしまうということなのであろうか、考えさせられることであった。

この旅行の際、ダマスカスの空港で、目の不自由な子供たちを引率した日本人の団体に出会った。2時間ほど空港で飛行機待ちをしていたのであるが、よくよく見れば曽野綾子氏と三浦朱門氏が引率していて、何人かのシスター達が忙しく子供達の面倒をみていた。その時の旅はどのような経路で帰国したのか記憶があいまいになっているのだが、その後イスタンブールの空港を経由し日本に帰る機中で再びこの団体に出会い、しかも曽野・三浦両氏とは席が前後であったので声をかける機会があった。当時文化庁長官を離れて自由の身であったとは言え著名な作家である三浦氏と曽野氏がエコノミーシートに身をしずめて旅をしているのには感銘をうけた。ヨルダンのペトラに立ち寄ったと聞いたがエルサレムに巡礼した帰りとの事であった。

小生の近い親戚に教育者として聖心女子学院に何十年か奉職し、20年近く教頭として美智子皇后や曽野綾子氏そして緒方貞子氏などの著名な方々を中学、高校と6年間にわたって担任した聖心女子学院の「ノサケン先生」こと野坂健三先生がいるが、その先生から自宅を訪問した際には色々と聞かされていたので、ついつい親近感もあって話しかけたのであった。毎年のようにハンデキャップのある子供たちを生地巡礼の旅に引率しているとの事とであった.あれほど著名な方々であるのにエコノミークラスに席を取り,目の不自由な子供たちの世話をしている姿に感銘を覚えた事を今でも覚えている.

地中海太郎

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