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閑話休題 「中東紛争から学ぶべきこと」 |
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人間は悲しみと喜びを感ずる動物である。戦乱の結果もたらされる肉親を失う悲しみ、恋人を戦場に送る悲しみ、家財を失う悲しみなどが一方であり、一方では戦場から帰還する恋人との再会の喜び、そして戦争に勝利するという喜びもあろう。だがいずれにしても痛ましくもあさましいこの愚かなる人間の行為は、いつ終わるのであろうか。
しかしながら、人間の思いやりとやさしさ、相手に対する立場を越えた理解などは、残念ながら、このようなくり返される個人間の「いさかい」から始まって、さらには戦争などを通じて反面教師としての実相によって育まれてきたのかもしれない。喧嘩をして初めて本当の友情に至るということがあるが、頭で考えたことではなく、血を流す、親族や恋人を失うなどの、泣いても泣ききれない、深い悲しみを経て、人間として最も大事にしなければならない愛情のなんたるかを知ったに違いない。
だとするならば、神様もむごい試練を課すものだ。特にイエルサレムの聖地を巡るキリスト、ユダヤ、イスラムの諸宗教による相克の歴史はいつ終わるとも知れない。そのようなことで神はこの地エルサレムに、すなわちパレスチナに生を受けた人々をユダヤ人の言うように人類の選民となし、彼らに殉教の苦しみを与え続けることによって、これ以外の人類に反面教師としての役割を負わせたのであろうか。世界中の人民に平和のなんたるかを知らしめるための、神の謀り事だったのかと思わせることがあって怨めしく思われる。神は人知を越えたところにあって、時々は冷徹非常に人類に鉄槌を下すことがあるとしてジハード(イスラムの聖戦)などの試練を与え、その代償として信教者に天国の約束を与えてこれを救い、バランスをとっているのであろうか、問うてみたい気がする。
余談になるが、人間と人間の関係は、お互いに礼儀を尽くさなければならないことは当然であり、礼儀こそがすべての基本であると信ずるが。真に友情を育み理解し合うためには、肝胆を開いて互いに本音を主張することが第一である。それを乗り越えて理解し合わなければならない。時としてムキ出しのエゴが衝突するもことそのためにはあろう。ほとんどの主張のうちには、相反する利害の問題が確認され、その結果口論になったり、喧嘩沙汰になることがあるわけである。
国家間においては戦争にもなろう、この事は先にのべたとおりである。しかし相互理解のためには、このようなプロセスは時として覚悟せねばならないこともあるであろう。そのような経験の中から無意味な血を流すような愚を避けるために、お互いが譲り合ったりするのである。この結果、大人と言われるようになり、成熟した風格も備わってくるものであろう。
それに反して最近の我が日本の男性諸氏にみられる風潮はどのようなものであろうか。生きるために自分をむき出しにして戦う気概がうすれた事は良いとして、ただただに人との軋轢を恐れるが為に難しい問題の種を後回しにして、相手の主張に合わせて、その場を取り繕うとする表層の優しさのみに惰しているのではと思えることの方が多いように思える。もちろん、むき出しの闘争心はご免こうむるが。今すこし骨太い生き方を見習っては如何かと思えるのである。問題を起こしたくない、相手によい印象を与えたい、このようなことは誰にしても望ましいことに違いないが、根本に関わることをそのままにして、このような態度に終始していれば、必ずや何らかの形で、その反動があるであろう。
昨今のニュースに取り上げられる、残酷な少年犯罪なども、容疑者を捉えてみれば、温和でやさしい子供だったり、誰にでも好かれる成績の良い子供だったりする。私にはなるほどと思われるのだ。親の言いなりになり、学校の先生の良い子になって、勉強のみに明け暮れてばかりいては、いつかその子供が自我に目覚めたとき、コントロールを失い、常軌を逸する妄想にとらわれて行動するのは、ある意味では当然の帰結と考えられなくもないのである。
教育の問題は難しいに決まっているが、親が人生の何たるかに見極めがつかず、ただただ世間体を装うがために、お行儀の良さを押しつけてばかりいては、問題は解決されない。局面において徹底的に息子や娘と相対峙する内から、真剣に生きようとする志が芽生えるものと思っている。
物事にはすべて基礎的訓練や試練をあたえることは大事である。少年に至るまでの幼児期や乳児期を通じて、親が子に対して人間として在るべき姿の基本を徹底的に教え込まない限り、何の目的意識もなく、物事に感動したり感謝したりすることなく、心を失った宇宙の無重力状態に漂う無気力な人間が育つのはわかりきったことだ。子供の自由に任せるとは、少年期までの間に、徹底的に躾を教え、思慮分別のついた頃になって社会に順応させるために、ライオンが千尋の谷に我が子を突き落とすようにして一人立ちさせるため我が身の寂しさをこらえながら手元から離し自由にさせるのである。子供はそのような苦痛や、物のない不自由などのの中から、忍耐することを覚えたり工夫する事を覚えたりして、限られた環境の中で創意、工夫する心が生まれるのである。
地中海太郎
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