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シリアそしてパルミラの遺跡を訪ねて |
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シリアは1993年に、若いドライバーを同行させて、ダマスカスから北はトルコ国境まで、そしてさらにレバノン国境へとレンタカーを借りて旅をしたことがある。初めて訪れるシリアだったので、リビアと並んでテロリストをかくまう国家との印象が強く、深夜にダマスカス空港に到着した時は少し緊張したことを覚えている。空港に到着するなりマシンガンで武装した兵士が空港を守備し、暴走するトラックなどが直進してくるのを防ぐように配慮された分厚くて大きな鉄くぎのバリケードがジグザグに配置されているのが目に入った。否応なしに、戦時体制がしかれていることが感じられたのである。
少し中東の歴史について不勉強だったと思い知らされたのだが、その後の知識で、このシリアほど古くからの歴史と誇り高い民族もないのではないかと思うようになったのである。
その昔のシリアは、ヨルダン、イスラエル、レバノンなどを包含して大シリヤとよばれた偉大な国家だったのである。世界に覇権を目指したことはないにしても、中東の人間にとってダマスカスはカイロとならんで尊敬と羨望の町である、これは今でも変わらないと思う。中東においての学門の中心地であるダマスカスの人々は、貧しいながらも誇りと気品に満ちて暮らしている。われわれ日本人がもつ印象では、シリアはテロリストの国であり、今は亡きアサド大統領の独裁国家であるというものである。それも当然理解できることであるが、なにしろ、この国はその昔に大シリアと呼ばれた時代には、エルサレムにキリストが生まれ、世界最古の町として知られるイリコやビブロスもあり、地中海世界に覇を唱えたフェニキアの歴史もある。そのようなことから、人々の誇り高さと気品ある表情についても納得がいくのである。その他十字軍に対して果敢に戦ったサラディンの土地でもあり、医学などの学問の中心地でもあった。この町ダマスカスは一度訪れたら最後、魅力に取り付かれても不思議はないほどである。それはダマスカスのもつ独特の歴史の深い雰囲気と表情が我々を虜にするからに相違ない。
ヨハネの墓もサラディンの墓もあるダマスカスから、紅海の(今はリゾート地で有名な)ヨルダンのアカバ湾までヒジャーズ鉄道が通っていて、かつてはメッカ巡礼などには重要な働きをしたのである。この鉄道はかつてアラビア半島に至るルートを結んでいたが、今では駅舎があるものの鉄道は休業になっていて、利用されている形跡はなかった。
シリアの東西南北を意識して走り回ったが、国中いたるところ、道路のあちこちに巨大な立て看板が見られた。独裁者「アサド大統領の肖像」であった。今は息子の代になって、他国との融和も進んで少しは様子が違うと思うのだがどうだろうか。再訪してみたいものである。
テロや独裁国家などという恐ろしい一面を忘れるならば、この国の人たちの気質ほど、心休まるものはないのではないかという印象がある。心根がやさしく、慈悲に満ちて純粋さを思わせるその目元は、全ての警戒心を一度にしてぬぐい去らせるのである。一般市民の表情、とりわけ子供になるほど、そのような印象がある。イエスキリストが生まれ、ヨハネや英雄サッラーディンの生まれた国であることを痛感させられる。シリアの国境を守る厳しい軍事上の出来事も、この一般市民の安寧を守るためのものなのだろう。厳戒態勢の中のシリアの国内に入って痛感させられたことの大きな収穫であった。国内はきわめて治安が良く、やさしさと人なつっこい人々がいて、私の好きな国のひとつである。
また、シリアほどに美人の多い国もないと思われた。セム系やハム系であろう、、肌の透き通るような、そして肉感的美人の多いこの国では、街を歩くたびに、はっと息を呑むようなことが多かった。もっとも、観光客として、この国一番の、ウマイヤッドホテルやチャームホテルに滞在したことで、この国の上流社会の女性たちを見ることが多かったため、そうした感じを抱かせたことと思う。たしかに貧しさのうちに美貌が失われ、苦しい人生を感じさせるような人もいたのだが。それでも、小生にとって、美人の多い国はどこかと問われれば、シリアだと答えるに違いない。
パルミラという偉大な遺跡がこの国にあることをご存知だろうか。ダマスカスから車で走って3時間くらいのところ、シリア砂漠のど真中にこの遺跡がある。かつて中国から地中海に至るシルクロードの隊商は、宿駅として、水や物資を補充する地点として、ここを必ず通ったのだと聞いた。ローマ帝国の前進基地としての位置付けもあったといわれるが、そのうちに、シルクロードの隊商から通行税や関税を徴収するに及んで、国の隆盛がもたらされ、最後の女王ゼノビアの時代、三世紀になって、その強大な力を背景にローマ皇帝と張り合ったことから、ローマ皇帝の怒りに触れて破壊され砂に埋もれたまま、近世までかえりみられなかったのである。その繁栄は600年にもわたる長い間続いたのであり、それに相応しいスケールの大きさに圧倒される思いのする遺跡である。世界を代表する遺跡である3Pのひとつとして(3Pはピラミッド、パルミラ、そしてヨルダンのペトラ)、人類の遺産であると思われる。
地中海太郎
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