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アラブ・イスラムで感じたことなど |
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欧米人とアラブ人(イスラム)との違いのひとつには、時間に関する認識が全く違うということがあげられる。砂漠の中で暮らしていて、砂嵐にあったりして、予定の時間に到着できないとき、緊急連絡すべきことがあっても、通信手段が確保できないなどで、待ち合わせ等に正確を期しがたい。そのような、生まれついての生活環境の中で、時間には無頓着な性格が形成されるのは当然なのだろう。
男達は失業率の高いこともあるが、チャイハナ(茶店)に寄って日がな一日ミントティーをすすったり、カ−ドを楽しんだりして過ごしている。特に長い水ギセルの煙草を吸うたまり場では、長い衣装を引きずって悠々とひとときを過ごしている。このような光景は東のトルコやシリアであっても西のマグレブの国であっても少しも変わらない。
発展途上国と言われる国の子供達は、小さいときから家計を助けるため、また、病気の親の薬代を稼ぐため、危険な交通量の多い路上に出て新聞や煙草を売ったり、そして、信号が変わるまでの短い間に、停止する車の窓を拭いたりして少しばかりの金を求めてくる。そのような状態は決してほめられたものではないが、これらの経験の中から必死に生きるための知恵や工夫が為されて逞しい生き方を体得しているのである。
日本の子供の育て方、すなわち目標を与えることをせず、泣いたり、怒ったりするのが怖いため小遣いを与えたりして、育てていく中で、どうして、あのように苦労して育った人々と渡り合っていけるのかと、はなはだ心配になるのである。このような風潮から生まれる国の将来というものは、政治家のひ弱さなどにもつながり、国際政治の中で敬意を払われることなく翻弄されて、ゆくであろう。今の内に国家とか、人生とかを充分に認識させて、その上に立って真のエリートを育成することが急務であると思われる。
私はかつて、パリのクリヨンやリッツなどで会食する機会があって、例えば、コソボ紛争たけなわの5月頃、ガリ総長や当時の国連代表部の席など隣接に、客として食事をしたこともあった。また、色々な場所で、何度も日本人の政治家や官僚と、外国の要人との会食風景を眼にしたことがあるが、一部の人を除いて日本人の政治家や官僚は、手もみをしながらぺこぺこと頭を下げている。 そのような現場は、出くわして、見ていて気分の良いものではない。
裏打ちされた政治哲学や国家観が基本にそなわっていれば、手もみをしながらペコペコする態度は商人ならいざ知らず、一国を代表する立場の人にとっては実に情けない気がする。なめられるに決まっている。
現代の日本の男性は優しくなりすぎ、自分自身の史観や哲学を持たず、周囲の状況に配慮するのみで、あっちにもこっちにも耳を傾けて決断ができず、勢いのある強い意見に押し切られて、損をしているように思われてならない。単に優しい態度のみでは信念や確信が感ぜられなくて、人を牽引すると言ったダイナミズムに決定的に影響を与えているのである。真に砂糖の甘さを効果的にするためには塩分の働きが必要なのと同じように考える必要がある。それに加えスパイスによる味付けも施さなければならないのである。
話題が飛んでしまったが、アラブ世界など開発途上の人達の逞しさから考えさせられることは多い。思い出したが、以前バーレーンだったと記憶するが、ハンマームという典型的イスラムの共同浴場でアブドラ何某とかいう青年と一緒にサウナに入った時のことである。気合いを掛けながら、身体を手でしごき、元気充分であった。話しかける態度は強圧的で、威厳のある顔であり、粗野にも感じられる話し方や身体の動かし方であったが、その逞しさに関心したことがある。
年中青空の下の砂漠に生きるためには、時としては自らに気合いを入れながらでないと、強烈な太陽に向かって生きていけないのであろう。その後、その青年とは風呂上がりのチャイを飲みながら話をしたのだが、ハマームの玄関を出たら、外は45℃前後の天然サウナの世界だったことを今思い出している。
地中海太郎
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