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  永遠の憂愁、遊牧の民ベドウィン族について
世界中にはベドウィン族以外にも遊牧の民があるだろうと思われるが、このベドウィン族ほど気位の高い人種はないのでは思われる。シリア砂漠から南下してアラビア半島そして北アフリカ一帯に及ぶ地域に、ベドウィン族は広く分布している。

地中海の北岸諸国に多く見られるジプシーは国籍も、国境の意識もなく、あちこちと流浪し、スリやかっぱらい等を生業として、誰からも嫌われて卑しい顔立ちになっているが、国を持たない流浪の民の生きる道とはいえ、気の毒である。欧州人は一目見ただけでジプシーを見抜くし、スペインの人は、アンダルシアはジプシーの国として好まない人達もいる。

対するベドウィンもまた、国境を持たない民族である。前に述べたベドウィン族の生活する地域においては、国境を越えて遊牧する彼らに対し、国境云々については一切制約しないとの事である。古来よりわずかばかりの草を求めて、アラビア半島や北アフリカ一帯を移動し続けてきたその生活のあり方は、王朝などの都がある一部の地域を除けば、この地域全体に共通する祖先からの生活様式であったに違いない。それ故に、誰も国境を無視して生活する彼らをとがめたりしないのだ。

半砂漠というか土漠というか、まばらに草が生えた地域を遊牧する彼らは、定住して農耕する人々に対して、軽蔑の念を持っているように思える。気ままに何の制約もなく、この乾いた大地を、羊を引き連れて、天の星を友にしながら生活する、そういう生き方こそ彼らの性分に合っているに違いない。

誇り高い勇者は限られた狭い場所に、押し込められるような生活は耐え難いと、思っているに違いない。車でシリアの砂漠やモロッコの国内をドライブして幹線をかなりの距離はずれると、これらベドウィン族のテントが点在している。

未だ20才代後半の頃、これらベドウィン族のテントをモロッコ人のガイドと共に訪ね、一夜の宿を借りたことがある。現代の我々が生活の利便に使用しているものは、何一つとしてない簡素なものであった。会話はアラビア語を話す通訳がいたので成立したが、話題は限られていた。定住する人達への蔑視の言葉と、どこを通って、どのような生活をしているのかについてを聞いた。彼らは極めて寡黙であり、毅然としていて恰も哲学者や修行僧を思わせる威厳と気品があるという印象を受けた。視線を遠くに据えて、世俗的な事とか文明の利器などに関しても、あまり興味を示すでなく、みすぼらしいほどの家財に囲まれながら生活している。

唯一文明の利器といえば、アルミのボウルやナベなどで、これで羊を主にした肉や乳製品などの少ない食材を調理し、生活している。

それでも交易のため、遊牧の成果を定期的に近くのメディナ(バザール)に持って行き、塩や茶などと交換している。その時は家畜の糞を乾燥させた燃料に、その辺で集めたと思われる小枝などをくべて、湯を沸かしてくれ、ミントティを作って歓待してもらった。

夜には羊肉を炙って、ケバブのようにして食べたり、小麦粉を焼いて塩をまぶしたパンを食べて過ごした。種族の習慣なのかと思うが、人気のない土漠のど真ん中で出会った縁を大事にしてくれる人達であった。ただし、酒は一切無く、会話も少ないことから、長い間滞在する間に、会話がとぎれがちで間がもてない感じもあった。

日が暮れるにつれて、最初に訪問したときと違い、いつの間にか、娘や息子と思われる人達が増えて、子供を加えれば十人近い世帯だったことが知れた。彼らと握手などして愛想を振りまいたが、ランプを消して八時頃羊毛を羊の皮で包んだクッションに、そのままごろ寝をした。

直接にはほとんど言葉が通じない相手と、半砂漠のまっただ中にあって、異様な雰囲気の中では眠るにも眠れなかったことを記憶している。

途中息苦しくなったのでテントの外にでて、小用を足しながら天空を眺めたら、漆黒の天空に星が大きく瞬いて、感動また感動であった。初めてアメリカからリスボン経由でカサブランカの空港に深夜到着したときも、降るように大きい星の輝きに驚いたものであったが、それにも増す感動で身震いするほどであった。乾燥地、特に砂漠地帯では、星の光が強烈なことは説明の必要もないが、この感動は体験しなければわからないだろう。

天文学が古来アラビアで発達した理由も当然納得された。これほどの神秘と感動があれば、大作家のストーリーや名曲の数々とて対抗できず、ましてや、日々変化する物質文明の移ろいなどに関係なく、人のぬくもりと天球の神秘を感ずるのみでも生きていける理由がよくわかった。

ひるがえって、今の日本では物が有り余り、人の心や物を大事にする気持ちを失いがちになっている。わがまま一杯に育ちすぎて生きる目標を見失った少年などが激増し、殺人など凶悪事件がが激増している。翻って、ベドウィン族などの生活を見ると、厳粛に人生とは、何かについて考えさせられる。

ベドウィンのテントには、この他にもう一度10近く前に訪れた。シリアのダマスカスからシリア砂漠を250Kmほどドライブすれば、2000年ほど以前にシルクロードの要衝として繁栄を極めた、パルミュラという巨大な都市の遺跡がある。ここに行く途中、遠くにぽつんと見えるベドウィンのテントを見つけ、道路から外れて土漠にほこりを立てながら訪問した。浩司君という若者とシリアを縦断したときのことだ。

その時はクリスマスの頃日本を出たので、餅やあんこ、それにカップラーメンなどアラブの片田舎では食する物が不自由なことと判断し、車のトランクにはたっぷり食糧を詰めていた。それを持ち込んで訪問したのだが、アラビア語は皆目見当がつかず、モロッコの時と勝手が違い、意志疎通が全くできないのは当然であった。それでも写真を撮ったりして友情を温めることになり、その後、持ち込んだ餅を焼いてあんこをつけて食べたり、カップラーメンにお湯を注いで食べてもらったら、彼らもずいぶん喜んだようであった。

モロッコとシリアは、地中海の両端にある筈なのだが(約4000キロ位離れている)、生活の様子は30年近く前にモロッコを訪れたときと、全く変わることのない生活を送っていたのである。

私は生来、好奇心が旺盛なのか、それまでの間にニューヨークのハーレムやブロンクス、そしてナポリの暗黒街ともいえるスパッカナポリなどを、深夜に一人歩きしたこともあり、インドのカルカッタでは路上で生活する人達の中に経験を求めて身を横たえたことがあって、少しばかりのことでは驚く者ではない。 しかしながら本当のことを言えば、ベドウィンのテントの内で全く言葉が通じないことあって、万が一襲われでもしたらという思いがよぎって、薄気味悪いと思ったことも事実である。

数時間過ごした後に別れの時がきて、礼を言って、日本からの絵はがきなどの土産を渡したのであるが、今までよぎった心配事は、杞憂に過ぎなかったことを知ったのである。言葉が通じなくても歓待してくれた心はわかったし、別れの際にはその人影が見えなくなるほどになっても、手を振って別れを惜しんでくれたのである。寡黙で毅然とした人達の暖かさ、貧しさを超越して悠久なる自然と共生する、彼らの優しさと暖かさは十分に知らされた。

地中海太郎

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