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閑話休題 「アテネの名ホステス、マダムみち子女史の思い出」 |
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2度目にプラカ地区を訪れたのは1975年頃である。この時は、レバノンのベイルートを訪れての帰りであった。ベイルートを訪れた私は高級ホテルとして知られたホテル・リヴィエラに数日滞在した。そこの最上階にはレストランミチコという和食の店があり、中近東を旅した後に日本食を食べたかった身としては、そのために、数日このホテルに投宿したのであった。終日のんびり宿泊するうちに、レストラン経営者のミチコ女史と毎日会話を交わすようになり、いろいろとその土地のことなど、情報をいただいたのである。聞くところによると、女史は、東京女子大学を卒業後、ギリシャの外交官と結婚したということで、アテネのプラカにもレストランミチコがあり、そこが本拠地であると聞いて、早速アテネまでフライトしたというわけである。
このアテネのミチコには5年頃前にも立ち寄った。若夫婦が店を取り仕切っており、ミチコ女史のことを尋ねたら、「母は夕べ日本から大臣一行がみえて大使館の方々と食事をされたので、その接待の為に店に出たため、本日は疲れが出て微熱があり、ふせっております」ということだった。「そうですか」と言葉を返し、寿司のカウンターに座りながら、ミチコ女史のお嬢様と話し込んだのである。しばらくすると、誰かがわざわざ寝ていたミチコ女史を起こして連れてきてくださったのには驚いた。最初10分位の間は、話をしていても思い出せない様子だったが、何かの拍子に、「ああ、あのときの」と、ついにはおぼろげに思い出したようで、非常に懐かしくお話をさせていただいた。長い間お引き留めするのもどうかと思い引き取っていただき、その後娘さんといろいろな話しをしたが、この方の結婚したお相手は大学卒業後ギリシャに立ち寄った日本の方だそうで、日本人の良い部分を感じさせる好青年であった。
またいつの日かアテネに旅した際は、何はさておいても、レストランミチコに行くだろう。ちなみにその時、マダムミチコは八十近くであって、娘さん夫婦はどちらも40代の中頃だったように記憶している。もちろん、ギリシャを訪れる日本人観光客など極めて少ない時分からアテネに居住しており、しかも元ギリシャ外交官婦人だったわけで、年老いたりといえど、名ホステスであることは当然であろう。アテネに関係する日本人にとって知らない人はないと思われる。杵渕美智子さんという名前が本名で、残念ながら、1998年頃にお亡くなりになったと最近その報道に接した。(本書を執筆中の2001年日経新聞一面のコラム欄で)
レストランミチコはアテネが本拠地なのだが、ベイルートの店にしても、ホテルの最上階を占拠するように、規模の大きい日本食のレストランであった。これほどの立派な日本食レストランを異郷の地で良くも経営できるものだと感嘆したのであるが、後から考えると、中近東当たりの石油事業に従事する人達が、自由の国、麗しのレバノン(中東戦争の起きる前の話)に来て散財することが多く、経営が成り立ったのではないかと思ったのである。
地中海太郎
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