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  ギリシャの想い出「ブリンディシからアドリア海を渡りギリシャのアテネへ」
アッピア街道の終点の地であるプーリア州ブリンディシから航路でギリシャのパトラスに渡ったのは1970年の初頭であるが、十字軍兵士がエルサレムの巡礼者を保護してこのブリンディシから出航したのだとする思いで、感銘したことを今でも鮮烈に覚えているが、当時は十字軍の何たるかについてはたいして理解していた訳でもない。

コルフ島に沿って航行しながら、当時、歴史のことを深く知らなかった私は、そこがヴェニスの海軍がトルコのイスタンブールに向かうに際して最も重要な中継地点であったことは知る由もなかった。現在のアルバニアの南端沖に位置するコルフ島のヴェニス共和国時代の軍事的重要性は、決定的なほどであったらしい(塩野七生氏の「海の都の物語」に詳しい)。

ブリンディシを出航して10時間足らずで、間違いなくコルフ島沖を通過したはずである。いずれにしても真夜中で、就寝中であったに違いない。歴史を知っていれば、たとえ真夜中であっても船上から通り過ぎるコルフ島を凝視し続けたに違いないのだが。

ブリンディシを昼すぎに出た船が朝の7時頃ギリシャのパトラスに到着した記憶が残っている。そこからは、コリントの大地峡地帯を経て、コリント運河を越えてアテネに至るのだが、大きな外洋船ではコリント運河を運行するのは困難なため、パトラスからバスに乗り、聖書でも有名なコリント人の町コリントに着いた。早速コリント運河を訪れたのであるが、その垂直に切り立った圧倒されるほどに深い運河は、バルカン半島南端のギリシャを二分する形で、ペロポネソス半島との境界線を形成している。

歴史上に名高いオリンピアやスパルタ、ミケーネ、そしてマラソンで有名なマラトンの丘なども近くにあり、世界史上の遺跡が無数に点在する。この地域はまた、史上に名高い激戦の場所としても知られている。2500年前には、アテネとスパルタ間で、ペロポネソス戦争が勃発し、ギリシャ全土に戦乱をもたらした。その後も覇権争いが絶えることなく、国土も疲弊していったのである。そのわずか50年ほど前のペルシャ戦争では、ダリウス王に対してスパルタとアテネは連合して戦い、ミレトスやサラミスの海戦でペルシャの野望をかんぷ完膚なきまで打ちのめしたはずである。

その後ギリシャは東ローマ帝国の属領となり、さらにビザンチンの影響下に入り、近世まで350年近くにわたってトルコ帝国の支配下におかれたのである。現在に至るまで、そのしこりがあり、ギリシャとトルコの間では、目立たない小競り合いが続いている。このことはキプロス問題として今もなお紛争の種として残っている。

この地域は又遺跡に満ち満ちている。シュリーマンが発掘したトロイは、イスタンブールに至るマルマラ海の入口ダーダネル海峡にほど近いところにある。ミケーネの遺跡も、その後やはりシュリーマンによって発見されている。古代西洋史に興味を持つ人達にとっては、興味の尽きることはない土地柄である。世界最古のひとつとされるミノア文明などギリシャ文明の遺跡は、このペロポネソス半島やエーゲ海諸島の中に無数に点在していて、よほどの遺跡好きでないとウンザリするほどの量である。しかしながら、ヨーロッパの歴史というものは、ギリシャ抜きにしては考えられないのであって、その源流を知る必要があろう。

ゼウスによって人間が造られたという伝説、かつまた、ヘラクレスの伝説もある。シチリアのシラクーザのアテネの植民地には、アルキメデスが生まれ、幾何学ではピタゴラスがあり、哲学にはソクラテスやプラトン、アリストテレスがある。近世のスペインではトレドに居住したエルグレコ(ギリシャ人の意)の活躍がある。医学などを含めてかなりの分野において学問の始まりはギリシャ文明に由来する。西洋の教養人にとっては、最も大事な学問の基本がここにあるのである。

さて、コリントの町を離れると、快適なハイウェーを通って2時間もすればアテネに至る。途中の風景は一様で、緑のある大地に大きな石、岩があちこちに見られ、乾燥した牧草地とオリーブ畑が続くのみである。アテネの町については記述すべき事が無数にありすぎて、1冊の本でも収まりきれないくらいである。他に譲ることとする。

さてアテネの街はシンタグマ広場(憲法広場)がアテネの王宮の前にあるが、最初にここに旅行した30年ほど前の印象では、ギリシャの人々は、偉大な歴史の重みにに押しつぶされて、息も絶え絶えのような感じがあった。アテネの銀座通りといわれるような場所でさえも、ここを歩く人が言葉を悪く言えば田舎のお百姓さんのような感じで、うつむき加減で歩くその姿に意外な思いを持ったものである。1993年頃に3度目にここを訪れた折には、以前と違って、人々の表情も明るくなっており、町もだいぶきれいになったように思われた。

その他に、当時アテネに来てびっくりしたのは、ミンクのコートが他と比べてバカ安いことであった。当時20代の後半であった私は、これを日本に持ち込めば5倍にも10倍にもなるのではないかと考え、商売を考えたほどであった。

アクロポリスの丘にはパルテノン神殿がアテネを一望に見下ろす場所に鎮座している。それらの歴史上の出来事は一切省略して、この地で楽しかったことを書くことにする。アクロポリスの丘を徒歩で石ころを避けて下れば、シンタグマ広場に至るその中腹にプラカ地区がある。ここには露天のタベルナと呼ばれる飲食店が出店を出し、深夜までギリシャ風の音楽が奏でられ、ワインを飲みながらスブラキ(串焼きの肉)などのギリシャ料理を愉しめる。もちろんこの地域にはきちんとしたレストラン、酒場もあるのだが、露天で飲食する方がギリシャ的で楽しいような気分であった。

アテネのピレウス港と言えば、かつて世界中に流行した「日曜はダメよ」のポップスで知られるが、ここからは日帰りでイギナ島やイドラ島などのエーゲ海の島々を周遊することができる。マヨルカやシチリアと比べると、格段と趣が違っていて、ギリシャらしい香りがそこはかとなく感じられる。申し合わせたように、建物は漆喰壁を白いペンキで塗り、太陽の強い光線をはね返している。エーゲ海に共通するのは、白い可愛い家が空の青さと海の青さに映えるイメージであるが、家を白く塗るのは、強い太陽の日差しが乾燥した空気を通じて地上に強烈に降り注ぐのを、すこしでも押し返すためである。窓は小さく、直射日光をなるべく内側に入れない構造になっており、外から帰ればひんやりとした空気が心地よく迎えてくれるのである。

ギリシャ第二の大都市で港湾都市であるテッサロニキへはアテネから列車で行ったが正味10時間前後を要した記憶がある。アレキサンダー大王が生まれたマケドニアはここから50Kmほどの所にあり、歴史的な観光ポイントも極めて多いのだが、ここまでくるとあまりにも観光ポイントが多すぎて、いささか感動も薄れがちになり、ゆっくり休養が欲しくなる。人口100万近くはあるであろうテッサロニキは古くからの都のひとつであるが、商業活動も盛んであり、ギリシャを代表する臨海工業地帯もある。車の交通量も一段と激しく、新旧の文明が錯綜しているようで活気のある町である。またテッサロニキはアテネやユーゴのベオグラード、トルコのイスタンブール等につながる交通の要衝でもある。

当時の都市国家アテネは、イタリアのターラントやシラクーザ、アグリジェント、サルデーニャのプーラなどに植民地を造り、キリスト教を分派する形でギリシャ正教会を形作ったのである。

同じ頃ローマは、さらに奥深く入って、現在のルーマニアなどに植民国家を造っていった(ルーマニアとはローマ人の町の意である)。これから触れるイスタンブールの町も又、東ローマ帝国の本拠地として、ヴェニスやジェノヴァなどの海洋都市国家とのつながりの中で相互に影響し合ってきたのである。

ギリシャはエーゲ海の文明から強い影響を受けており、ギリシャに触れることは同時にエーゲ文明に触れることになる。現在のギリシャに含まれるエーゲ海の島々は3000を越えるほどの数であり、これらの中には、デロス島、ミコノス島、ロードス島、サントリーニ島など数え上げればきりがないほどである。さらには、アテネに強い影響を与えたクレタ文明で知られるクレタ島等がある。ごく一部の島をのぞいて、これらエーゲ海の島巡りはしていないので、老後にゆっくり訪れてみたいと思っている。

ギリシャのテッサロニキから憧れのイスタンブールには、列車で途中下車しながら丸1日がかりで到着した。この行程は特急でダイレクトに行っても10時間程度必要な距離である。

地中海太郎

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