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  ヴェニスから旧ユーゴスラビアとの国境の町トリエステへ
大学都市といえばパドヴァと言われるほどの、イタリアきっての学問の町は、ヴェニスの玄関といえる距離にある。かつてはガリレオ、コペルニクス、ダンテそしてペトラルカなどがここで教鞭を執ったことが、この大学に重みを加えている。この周辺の地域では、ポー川の運んだ肥沃した土壌によって大地は豊かである。北イタリアを代表する地域と言っても過言ではあるまい。シェークスピアによる真夏の夜の夢はこのパドヴァが舞台であったと記憶している。

海岸線から外れて内陸部に少し入るのであるが、ヴェニス−ミラノ間には、ロミオとジュリエットで知られるヴェローナの町がある。とても落ち着いた上品なたたずまいはイタリアの地方都市の中でパヴィア等と並んで、生活してみたい都市の一つである。周辺にはガルダ湖などの景勝地もあり、平坦なパダナ平野の沃野に変化を与えてくれる。ローマ時代のアリーナの跡は、完璧に近い状態で残っており、夏には野外オペラが開かれることでも世界的に有名である。

さて、世界的に有名な観光都市ヴェニスに入ることにする。 ヴェニスの成り立ちは、寒冷のための凶作により飢えに直面したアジアのフン族の流れを汲む白フン族といわれる、エフタルの進入が玉突きのようにゲルマン民族の大移動を引き起こし、ゴート人、ロンゴバルド人などによる侵略や虐殺を恐れて、このあたりにすむ人々が、湿地帯の葦原を埋め立てたり、運河を開削して次第に浅瀬の海上へ町づくりをした結果である。海中に打ち込んでも腐ることのない松の木を無数に打ち込んで、運河を開削するために浚渫した土砂で埋め立てたこのヴェニスの町では、否応なく海で生きることに習熟を積まざるをえないことになる。

次第に造船技術や繰船技術をマスターして、北方からの侵略を水際で撃退するようになって、初めて安心できる状態になり、その後船団を組んでアドリア海、地中海の制海権を確保して遠くイスタンブールに進出することによってヴェニス共和国としての基礎を築いたのである。その後二人の商人がエジプトのアレキサンドリアから聖マルコの遺物をヴェニスに買い取って持ち帰ったことから、巡礼者が絶えることなく訪れるようになり繁栄への道を歩んだのである。

ヴェニスの島々はすべて人工島であって、ここには農業生産のための耕地は一切無い。あらゆる人々が貿易に従事するか、海事に就くか、工芸職人として生産に従事したのである。ブラーノ島においては、留守を守る婦人たちのレース編みが洗練されたものになり、ムラノガラスはヴェニスの工芸品として世界で珍重されるようになった。このようにして同じ生産でも付加価値のある商品を作ることによって、商人たちが世界中にヴェニスの工芸品を売り歩いたのであった。その結果、他の第一次産業など主として農業による経済に依存する土地とは違い、生産品を扱う商人がたくさんいる町になり、その結果ますます商人感覚が洗練されて、交渉術などに秀でた才能が育ったのである。かの有名なヴェニスの商人の誕生である。世界史上どこにもないヴェニスの特殊性がそこにある。

近世に入ってトルコ軍に東地中海の制海権を奪われ、その後ナポレオンによって征圧されるまでの1000年、繁栄を続けたその余熱だけでも現在のヴェニスが存続しうると言っても過言ではないであろう。

何度もヴェニスに行ったが、最初はそのすばらしさにただただ驚くばかりであったのだが、慣れるにつれて、だんだんとヴェニスの商人のなんたるかを体感したような気になってくるのである。観光客にとってこれほどすばらしい町も世界中にないが、ヴェニスに足を踏み入れたときから帰るまでの間、ついつい良い気にさせられ、あれやこれやと自然にものを買う気持ちにさせられる。ホテルやレストランや水上タクシーやゴンドラに至るまで、知らず知らずのうちに出費がかさみ、イタリアの中でも一番金のかかる場所がこのヴェニスということに気がつく。後から考えてみれば、有り金残らず使い尽くすほどに、財布の紐をゆるませる、否、ゆるませられるのは何故だろうか。何度訪問しても、その都度ヴェニスは高くつくことを実感する。それもごく自然にである。そこのところにヴェニスの商人の真骨頂を見せられたような気がする。

若年の間は、財布の中身が乏しければ乏しいなりに愉しめるのだろうが、50才をすぎて、安宿にまで泊まって旅をする気持ちになれず、ヴェニスを訪れる場合は、目をつぶって出費を覚悟するのでなければ愉しみも半減するであろう。どうせのことなら、国内の一流ホテルや温泉旅館で散財するのを抑え、グリッティパレスやダニエリ、チプリアーニなどの快適ホテルに数日以上滞在できたらと思っている。

小さい地域でありながら、興亡著しい地中海世界において1000年のあいだ、都を維持し続けたヴェネツィアは、世界中どこにもない栄光の歴史を持っている。しかしナポレオンに制圧された後には、退廃の時代があって、風紀は乱れに乱れ、ヴェネツィア全体が遊郭のようになったことがあると言われている。その結果、娼婦が失業せざるを得ないほどの状況の中から、稀代の色事師カサノバを生んでいる。ヴェネツィアを象徴する仮装用のマスクなどは、その当時の退廃淫乱の町を象徴した,残滓のように思えるのはうがち過ぎであろうか。

ヴェニスはサンタ・ルチア駅が終着駅であり、同時に始発駅ともなる。鉄道(車の道もある)を通ってヴェニス・メストレに出るのだが、その間15分くらい堤防の上を数キロに亘って両側に海を見ながら行くことになる。ヴェニスが海上都市であることを実感できる良い機会である。

メストレを過ぎてアドリア海沿岸を東に東にと行けば国境の町トリエステにいたるのだが、その間、電車または車とも車窓風景に海を見ることはほとんど無い。湿地帯などの海抜ゼロに近い状態がえんえんとトリエステ近くまで続くのである。トリエステが近くなると、左側に岩山などが次第に険しくなって来て様相ががらりと変わる。世界大戦の後に構築された鉄のカーテンと呼ばれた政治的体制の国境の終点でもある。ドイツ、ポーランドの国境の都市ステッテンからユーゴスラビアとの国境のイタリアの都市間に及ぶ鉄のカーテンが自由主義の国と共産主義の国々の間に非情にも存在していたのである。鉄のカーテンとの名付け親は、かの英国の宰相ウィンストン・チャーチルであることは論を待たない。

したがってこの町はかつてのウィーン華やかなりし頃、ハプスブルグやハンガリア王国などの物資を集散する港湾都市として繁栄した都であって、ありとあらゆる公共施設が完備されており、町並みもバロックなどのクラシックな建物で造られており、風格を感じないわけにはいかない。現在はしかし、どこかうらさびれた印象が否めない。古き良き時代の栄光を引きずっているような感じがある。

保険で世界的に有名なロイドはこの地が発祥の地であり、世界の保険業界に今でも君臨している。それだけ海上荷物の取り扱いが多かったのであろう事は予想に難くない。現在ではイリーのコーヒーが、この地から世界中に広まりつつある。

いずれにしてもこの町は旧ユーゴやハンガリー、オーストリアなどの物資を運ぶために便の良い港があったため、各国の民族が入り込んでいる。マジャール人、セルビア人、クロアチア人、スラブ人、ドイツ系の人々など、他民族が集まってつくり出す雰囲気は一種独特のものがあって、しかも、かつての栄光をバックにした気位の高い人達が多いような印象がある。

地中海太郎

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