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  ポジターノからアマルフィ海岸を経てメッシーナ海峡へ
ポジターノからアマルフィへの海岸は、私が見聞した中では変化に富んだ最も美しい海岸である。オレンジなどの常緑樹と地中海の紺碧が太陽の恵みに包まれて、世界屈指の景勝の地だと言っても過言ではないであろう。山上のハイウェイから海岸に下る道もあるが、ここでは決して最短最速の道を選んではならない。道幅が狭くバスなどとすれ違う際に難儀することが多く、往復2車線も充分に確保されていないようなこの海岸線の道を、ソレントあるいはサレルノから渋滞覚悟でドライブすることがなにより望まれる。

レモンやオレンジがたわわに実り、その木々の緑と、テレニアの海の碧とそれに反射する太陽の光線が目の前に広がる、断崖の上にある無数のカーブを徐行しながらドライブすれば、帰れソレントなどのカンツォーネを自然に口ずさむことになろう。

アマルフィはかつてイタリアが都市国家であった頃、中世ピサやジェノヴァ等とならび、地中海の覇権を競った王国として存在した輝かしい歴史を持つ美しい古都である。アラブやサラセン、カルタゴの影響をもろに受けた痕跡があちこちに見られる。優美なヨーロッパ様式とは違って、何とも言えないドーム形式の建物が異国情緒をかもし出している。

いまでこそ、通信や交通の便が格段と進歩して、この地に暮らすことはさほど不便を感じないが、ここの地形、地勢というものは比類無いほどの断崖、絶壁で他の地域から隔絶されており、車など無かった時代には、陸上を通じての交通がほとんど不可能で、海に出るしか活路がなかったかも知れない。また、地中海を往来するサラセンやビザンチン、カルタゴ、フェニキアなどの商人や軍人などにとっての格好の避難港であったかも知れない。少しばかり陸上の交通の便の良さがあると、進軍する兵の略奪などを招きかねないが、この地形は城壁に囲まれたような自然の要塞都市として機能したのではなかったかと想像する。あれだけの直立する断崖に囲まれた土地ゆえに、良港が確保されて、海に出ればシチリアでもカルタゴでも、またはイスタンブールなどのビザンチンの世界にも、難なく行けたのである。ここに住む人は、海に活路を求めざるを得ない地勢のなかで生まれつき海洋に馴染み、地中海に君臨することができたのではなかっただろうか。とにかく、この周辺の海岸線の完成された景観の美にはただただ酔いしれるばかりである。

アマルフィを出れば1時間あまりでサレルノに着く。

ここでアマルフィ海岸を走る場合の所要時間について述べる。ソレント−サレルノ間はおよそ70キロメートルくらいであるが、所要時間は3時間から5時間かかる。所要時間に幅があるのは季節と時間帯によるからである。地図上では極めて近い距離にありながら、絶壁の間にヘアピンカーブの狭い道が延々と続き、渋滞によって時速10〜20Kmの低速で走らなければならない区間が多い、よくもまあこのような岩壁に道を作ったものだと感心させられる。バスなどが何台か続くとすぐに渋滞がおこってしまうのである。ゆっくりと車外の景色を眺めたり、適当に車を停めてみたり、アマルフィの町やポジターノの町の中に入ってみたり、1日かけてゆっくりと旅をするのが良いかと思われる。

サレルノもアマルフィと並んで海洋に活路を求めざるを得なかった土地であったのかも知れない。しかしアマルフィ王国と違い、比較的穏やかな地形であり、ナポリや内陸都市、また反対側アドレア海にいたる道を通じてプーリア州へ、そして南下してカラーブリア州のコセンツァなどにも道が通じていたと思われる。アマルフィに似た良港を持つ地形に加えて、広く後背地を持っていたことから、アマルフィ王国よりさらにひとまわり大きな王国を形成していたのではないかと思われる。サレルノ王国は中世において、ピサ、ベニス、ジェノヴァなどの都市国家に迫る海洋国家であったことは推して知るべしである。

現在では、サレルノといえば、野菜、とりもなおさずトマトなどを始めとする乾燥野菜の一大生産地として他を圧している。町も重厚でビザンチン様式のモニュメントを残しこの地方を代表する都市としての機能を備えている土地である。

サレルノからテレニア海沿いに、メッシーナ海峡に至るレッジョカラーブリアまでの間は、狭い海岸線もあるが、全体的には農業栽培にも適する広い耕地を持つ比較的単調な海岸線である。カターニアからナポリまで昼の電車に乗ってこのあたりを通過したことがあるが、格別な印象はなかった。ここではむしろ、アペニン山脈の南端沿いに走る形でハイウェーができているので、これを利用すると良い。私はバジリカータ州のポテンツァやカラーブリア州のコセンツァなどの、いわゆる南イタリアの生活を垣間見るべく、時折、意識的にフリーウェイを離れ、1時間か2時間に限って、地図を見ることなく旧道と思われる道を走り、古くからの村に出たり入ったりをくり返したことがある。道路を走りながらもわかったことだが、日本で言えば妙義山や荒船山に似たようなニードルマウンテンがとっこつ突兀とする間を縫って道路が走っている。谷間に沿って点在する村と村が延々とポテンツァあたりからカタンツァーロまで続くこの周辺の生活は、他からは隔絶されている。一旦旧道に入り込んだ時から方向感覚が失われるくらい、山と山の間をかいくぐって各村落に達するのである。高速道路が完成される以前は、各集落間はそれぞれ断絶して生活を続けてきたのではないかと想像される。一旦犯罪などでこの地に逃げ込まれたら司法の手も届かない土地だったのではないだろうか。

このように切り立った山と山の間に点在する南部のバジリカータとカラーブリア州は耕地が少ない。各小村は封建的因習に縛られていた土地柄であったように思われる。余談ながら、この地はイタリアの負を代表するコーザノストラ(マフィア)同様に凶悪な犯罪集団があって、その悪名高い組織のことをヌドランゲタということは、章の始めの方で述べたが、昔からイタリアで誘拐殺人事件があれば、遺体はカラーブリアやバジリカ−タの山の中から出てくると思われている。もちろんこの地域の皆がそういう風ではなく、そんな故郷に嫌気をさして他国で真面目に生計を立て大成功している人達もかなり多い。

レッジョ・カラーブリアの町は、距離的にはメッシーナとほとんどくっついている感じだが、間にメッシーナ海峡がシチリアとの境を成している。シチリアのことは概略触れたので、ここから再びコセンツァからイオニア海沿いにプーリア州ターラントの町に入る。

地中海太郎

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