地中海フーズ
HOME 購入方法 買い物カゴを見る
食品懸賞クイズ お薦めレシピ スタッフ日誌 イタリア情報あれこれ 情報掲示板 リンク集
BOTTARGA
地中海の島々から
OLIVA
ACETO BALSAMICO
PORCINI
POMODORI
TARTUFI
ACCIUGHE
PASTA
INAUDI[1]
INAUDI[2]
商品紹介 店鋪紹介 お問い合せはこちら 会社概要
  花のアンダルシア地方とアルハンブラの想い出
さて、アンダルシアについて語るとしよう。とすればやはりコルドバから始めるのが妥当かも知れない。なんと言ってもここを代表する雰囲気は、キリスト教文化の上に建設されて8世紀から13世紀中頃まで続いたイスラム教の都の痕跡が残っていることである。最盛期には100万とも誇張されるこの町の人口は、最低でも60万人以上といわれ、当時の世界で最も華やぎのある町のひとつであったことは想像に難くない。アラブの化学、生理学、医学、哲学は、当時としては抜きんでて他のフランスやイギリス、ドイツに勝っていたのであり、影響を与え続けたのである。レコンキスタと呼ばれるいわゆるキリスト教徒による国土回復運動によって、その命脈が尽きるまでの400〜500年に及ぶ影響は大きく、その痕跡は未だに往時を偲ばせるものがある。

この町を代表するカテドラルはメスキータ寺院と呼ばれる。ここは、以前にカトリック教会があったその地に教会を解体して建造されたもので、その赤とベージュの砂岩の2色の色合いの石積みを縞模様に積み上げた、いわゆるメスキータ模様の規模には圧倒される思いである。歴史書をひもといて確認したら、その建設は785年に始まったとなっていた。故郷を追われた後ウマイヤ朝のアブドゥラ・ラーマンT世が当時のバグダットのモスクを越えるものをと命じて作らせたとあるが、これだけの規模の建物を竣工させたときの心境はいかばかりであったろうか。ある意味で故郷に錦を飾った心境になったのであったのだろうか。あるいは意地を通しきった後、むなしい気分が襲ったのだろうか。今では知る由もない。

宗教的建造物としてはヴァチカンのサンピエトロやロンドンのセントポールやミラノのドゥーモも大きいけれど、私はこのメスキータ寺院の規模が一番大きいように思えてならない。回教徒のモスクとしては世界最大規模のものであろう。不思議なことに今ではその中央部にカトリックの祭壇が共存していて、異様な気持ちにさせられる。元々がキリスト教の寺院だった場所にイスラムがあらたにこのメスキータ寺院を建設し、更にまたキリストの祭壇がその中央部に祭られている。そういえばトルコのイスタンブールにあるアヤ・ソフィア寺院なども共通しているが。

コルドバの旧市街の細道を散策すると良い。無数の細道には絵心のある人なら思わず描きたくなるような、可愛い、しかし歴史の風雪を感じさせる横道があちこちにある。家々は白のプラスターで仕上げられており、パティオに面した白い壁には、いたるところに各種の花の鉢がつり下げられている。本当に心休まる、飽きのこない散歩道があちこちにある。ローマ時代の皇帝ネロの家庭教師も務めて一世を風靡した哲学者のセネカはこの町の生まれである。

国を失って世界中を流浪するユダヤ人も、ここでは安心して暮らしたとみえて、コルドバのユダヤ人街は当時のフェズ(モロッコ)のユダヤ人街に匹敵する規模である。きっと包容力のある政治が行われていたに違いない。この街には気品や格式、それに加えて安らぎがある。町中に点在する中庭の、いわゆるパティオでゆっくりと時間を過ごすのが良いだろう。納税義務には差があったようだが、イスラムの統治はキリスト教やユダヤ教などと比べて寛容だったことはこれによってしのばれる。

コルドバの町の周辺は、ハエンや北のシウダー・レアルにかけて荒涼たる石ころの大地に囲まれている。やはり灼熱の大地なのであるが、往時100万人も住んでいたとするならば、その食糧はどのようにして賄ったのであろうか。周辺は果てしなく続くオリーブの林とも言えぬオリーブの疎林である。やはり、グァダルキビール川沿いにセビーリャ方面からの船荷によって賄われたのだろうが、考えさせられることである。

コルドバからは、グァダルキビール川沿いになだらかな扇状地をドライブすれば1時間あまりでセビーリャに到着する。マドリッドのアトーチャ駅で新幹線アベ(Ave)にのれば3時間弱でセビリアのサンタフスタ中央駅に到着する。乗り心地はフランスの誇る新幹線TGVより快適と思われる。フランスの新幹線TGVの本線はパリのリヨン駅を出発して、ディジョンを経由し、リヨンのペールラシューズの駅に着くまでは単調ながら優しい緑色の絨毯を思わせる大地を走るのだが、スペインの新幹線はマドリードのアトーチャ駅を出れば、ラ・マンチャの西端に属するシウダーレアル、コルドバを経てセビーリャのサンタフスタの駅に着くまではひたすらに赤茶けた大地を走り続けるのである。

よくもまあこんな乾燥地に人が住めるものだといった印象があって、酷熱と乾燥をもたらす太陽がうらめしくも思えてこの地の人に同情さえするのだが、目に見えない場所などに渓谷があり、湖や人造湖があって、今ではその灌漑用水によって荒れ地も緑化されてきている。よって部外者が同情したり、心配することはないのだ。

元来、血は争えぬものであって、コロンブス以来スペインがコルテスやピサロによって南北アメリカに侵略した後でも一番好んで住んだ場所としてメキシコやニューメキシコなど、あるいはカリフォルニアなどにしても、大気の乾燥した土地を故国に見立てて永住の地としたことを考えれば納得することができる。

ところで、マドリッドからの新幹線が着く終点のセビーリャの町から南はグァダルキビール川の氾濫によって形成されたデルタ地帯である。セビーリャを頂点として西のウェルバから東のカディスの間に形成された三角州はアンダルシア最大の沃野であって、乾燥したスペインにあってむしろ湿地帯による多湿な土地である。大河の流域がどこでもそうであるように無数に運河をつくり、排水をしながら沼地を耕地に変えてきたのだろうと推測する。したがって、野菜や果実の生産量に恵まれている。大地も平坦であるがゆえに、今ではスペインを代表する近代工業地域が形成されつつある。

記憶を中心に文献を確認しながら書いているのだがこのウェルバは、ローマ帝国のトラヤヌス帝やハドリアヌス帝といったローマ帝国華やかなりし頃の帝王の生誕地であることを知って驚いた。そういえば、かのコロンブスにしてもジェノヴァの生まれであり、黄金の国ジパングを目指して、この町を貫流するグァダルキビール川から出航したのである。マゼランの世界一周航海も同じである。いうなればアメリカ大陸の黎明はここから始まったと言っても言い過ぎでないことになる。

それにしても昔の人達の行動力に驚嘆させられる。特にコロンブスの場合、イサベラ女王にパトロンになってもらうために、内陸をあちこち旅しているし、晩年名誉を回復するために、700〜800キロも北のバリャドリッドまでも往還しているのである。行動力という点ではコロンブスに限らない。北のスコットランドにはハドリアヌス帝の築いた国境の壁もある。いずれにしても酷寒、酷暑いずれかの旅であったに違いない。スペインの夏といわず、冬の厳しさなど、この乾燥地の気候がどのようなものであるかを想像しうるものにとってみれば、過酷な条件の下での移動は、格別の驚きに思えるのである。動力や無線のない時代のことであるわけだから。

このセビーリャの見所は限りないが、アルカサール、ヒラルダの塔は必見の場所である。もちろんフラメンコの本場であることは周知の通りである。ジプシーは格別多いので、旅行する場合は、物盗りなどの被害に遭わないことを祈る。

地中海太郎

「イタリア情報あれこれ」のINDEXに戻る

Copyright (C) 2004 by chichukaifoods. All Rights Reserved.
※本ページをご覧いただくにはFlash Player プラグインが必要です。
またブラウザは「Microsoft Internet Explorer 6.x」以上を推奨します。